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    カテゴリ:邦画( 18 )
    劔岳 点の記
    ● 劔岳 点の記 [日本 / 2008年]
     
    b0055200_2105066.jpg"本物を撮る"ことへの熱意を持った名カメラマン、木村大作が初監督に挑む。実地ロケを貫いたストイックな姿勢で、圧倒的な迫力の映像を生んだ。内容は易しいものではないが、見応えがある。丁寧に作り上げられた、硬派で、完成度の高い珠玉の一作だ。
     


    監督、脚本、撮影は、木村大作。原作は、新田次郎の『劔岳 点の記』。「柴崎芳太郎」役には、浅野忠信。「宇治長次郎」役には、香川照之。「生田信」役には、松田龍平。「木山竹吉」役には、モロ師岡。「宮本金作」役には、螢雪次朗。「岩本鶴次郎」役には、仁科貴。「山口久右衛門」役には、蟹江一平。「小島烏水」役には、仲村トオル。「岡野金次郎」役には、小市慢太郎。「林雄一」役には、安藤彰則。「吉田清三郎」役には、橋本一郎。「木内光明」役には、本田大輔。「柴崎葉津よ」役には、宮崎あおい。「大久保徳明」役には、笹野高史。「矢口誠一郎」役には、國村隼。「玉井要人」役には、小澤征悦。「水本輝」役には、田中要次。「牛山明」役には、新井浩文。「岡田佐吉」役には、石橋蓮司。「行者」役には、夏八木勲。「古田盛作」役には、役所広司。

    "誰かが行かねば、道はできない。"
    1906年、明治39年。日露戦争終戦後の陸軍は、国防強化の観点から日本地図完成を急いでいた。残るは越中剱岳周辺の三等三角網の完成のみである。軍は、この重要な任務を陸軍参謀本部陸地測量部の測量手「柴崎芳太郎」に託した。立山連峰にして、その険しさから未踏峰のままである剱岳登頂。「柴崎」は困難な任務を前に、元陸地測量部測量手であり剱岳登頂に挑んだ経験を持つ「古田盛作」を訪ねる。その折、創設間もない日本山岳会が海外製の最新装備を伴って剱岳初登頂を狙っている、という情報が入る。剱岳初登頂と測量、日本山岳会との争い。厳命を受けた「柴崎」は用意周到、虎視眈々と剱岳登頂を見据えていた…。


      「八甲田山」「鉄道員(ぽっぽや)」など、日本特有の"美しさ"を映像に乗せて表現してきた名カメラマン、木村大作が初監督に挑むは、新田次郎による原作『劔岳 点の記』の映画化。木村は黒澤明の「隠し砦の三悪人」からキャリアをスタートさせ、彼から"本物を撮る"ことへの意欲や熱意を学んだという。そういった彼の真摯な取り組みは、監督という役割を担っても変わらず、本作には一切の手抜きも感じられない。美しい映像を撮ることへの評判は今更述べるに及ばず、本作にも自然美描写が健在であるが、驚くべきは、約200日という撮影期間、立山連峰における100年前の測量隊の軌跡を実際に登山するというロケーションなど、あまりにストイックな製作スタイルである。とかく丁寧に大事作られた作品。それは観賞するだけで理解できるほどだ。
      
      作品の印象を一言に換えると"硬派"。剱岳初登頂、ひいては日本地図完成に、只ならぬ信念を持って挑んだ男たちの熱いドラマである。前提として木村の"生きた映像"があって、登山を安易にイメージしがちな素人の自分も、刹那に剱岳登山がいかに困難であるかを思い知らされる。登る、という言葉では足らない、険しい斜面。表情が変わりやすい酷寒の天候。そして、測量隊一行の背には重々しい測量機器が負ぶさる。こうした過酷な状況の中で、それでも真っ向から剱岳に立ち向かった「柴崎芳太郎」という人間は、陸軍参謀本部陸地測量部に所属し、越中剱岳の三等三角網完成を命ぜられた実在の人物である。浅野忠信は、この「柴崎」を闊達かつ明瞭な人物として表現した。香川照之も同様に、寡黙だが「柴崎」に忠実な案内人「長次郎」を違和感なく、ニュートラルに演じ上げた。

      浅野忠信と香川照之の貫禄ある、卓越した演技力で表現する「柴崎」と「長次郎」が物語を牽引しているのは疑いのないところだ。彼らは山を知り尽くした登山のスペシャリストであり、剱岳の過酷さを痛感しながらも、勇猛果敢に山頂を目指していく。前述の通りの映像がもたらすリアリティも手伝って、彼ら測量隊の苦境はとりあえず理解できるものの、「柴崎」と「長次郎」には、彼らなら何とかするだろう、といったような安心感が漂っている。それでも、物語が独特の緊迫感を失わない理由は松田龍平演じる「生田信」の存在にある。なぜなら、彼は登山経験のない観賞者の立場にもっとも近いからだ。厳しい登山であっても何とかなるのではないか、という「生田」の自信は、登山に対する素人考えを抱く私には共感できた。しかし、彼は様々な困難に遭遇する。登山に対する自信が打ち砕かれるなどは序の口で、思い通りに事が運ばないフラストレーションと体調の悪化、延いては死すら覚悟しかねない圧倒的な絶望感が「生田」を襲う。そんな彼を眺める私は、おそらく呆然としていただろう。登山に対する考え方を改めるとともに、「柴崎」や「長次郎」の頼もしさや凄みが増す。作品の見所のひとつとして、「生田」の心境の変化も挙げておきたい。
     
      陸軍参謀本部陸地測量部という組織、"点の記"という存在や台詞に用いられる専門用語の数々になかなか理解が追いつかず戸惑いを覚えたが、これは後学に頼ることにして、映像の迫力は申し分ない。史劇としてもスペクタクルとしても、非常に硬派で完成度の高い作品だ。観賞に訪れた、初夏の某シアターには空調の冷気がうっすらと漂っていて、映像の雪景色も相まって次第に寒いとさえ思った。本作に全く責任はないが、その後、私は風邪をひきました。
      
    ● 製作代表 : 東映
    ● 日本配給 : 東映
    ● 世界公開 : 2009年06月20日 - 日本
    ● 日本公開 : 2009年06月20日
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    by movis | 2009-07-26 22:29 | 邦画
    MW -ムウ-
    ● MW -ムウ- [日本 / 2009年 / PG-12]

    b0055200_2310587.jpg手塚治虫の原作「MW」と比較すると、その全てが表現されているとは言えぬが、映画という範疇の中で最大限に魅せてくれた。作品の出来は良し、作りは巧い。しかし、"禁断の傑作"の映画化ゆえ、本作の捉え方はそれぞれに。物議を醸しそうな一作だ。
     


    監督は、「明日があるさ The Movie」の岩本仁志。原作は、手塚治虫の『MW』。「結城美智雄」役には、玉木宏。「賀来裕太郎」役には、山田孝之。「牧野京子」役には、石田ゆり子。「沢木和之」役には、石橋凌。「橘誠司」役には、林泰文。「美香」役には、山下リオ。「溝畑」役には、山本裕典。「三田」役には、風間トオル。「望月靖男」役には、品川徹。「松尾」役には、鶴見辰吾。「山下孝志」役には、半海一晃。「岡崎俊一」役には、中村育二。

    "世界を変えるのは、破壊か、祈りか。"
    現在から16年前、日本列島の南方に位置する"沖之真船島"と呼ばれる小さな島で、一夜にして島民すべてが忽然と姿を消した。ところが、この出来事に関しての報道がなされなかったばかりか、政府は事実隠蔽に奔走したのであった。しかし、彼らの誤算は、2人の少年が生き残っていたこと。この2人の少年がみた、あの日の凄惨な光景は、彼らの記憶から消え去ることはなく、悪夢となって脳裏にまとわり続けた。一人、「賀来裕太郎」は、自身の受難を克服しようと神に仕え、神父として迷える人々を救済する道を選んだ。一人、「結城美智雄」は"L.A.新世紀銀行"のエリート銀行マンとして手腕を振るったが、裏では故郷の出来事の真実を暴くため、関係者の追及と制裁を繰り返す道を選んだ。深淵たる絆で結ばれた「賀来」と「結城」は、やがて"MW(ムウ)"という謎めくキーワードにたどり着く。"許し"か"復讐"か。「賀来」と「結城」は、"MW"を巡る運命の決着に向けて歩み出す…。

     
      手塚治虫の生誕80周年を記念して、彼の原作『MW』を、「明日があるさ The Movie」の岩本仁志が映画化に挑む。「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」など、世界中に夢を与えた手塚作品において、『MW』は過激な性描写や猟奇描写を含んだピカレスク作品であり、"禁断の傑作"と謳われることでも有名である。映像化にあたっては、過激性を回避して物語を構築されているが、一部にグロテスクな表現があること、暗調なストーリーであることなどから、レーティング(PG-12)には留意されたい。日本テレビ系列にて2009年6月30日放送のTVオリジナルムービー、「MW -ムウ- 第0章 ~悪魔のゲーム~」は本作のタイアップ作品。同作は佐藤健、谷村美月、小出恵介らを迎え、映画本作の数ヶ月前のとある物語を描く。
     
      有名な原作を映画化した作品の中では、本作はひとつの道を示したかのようなな出来である。それは本作が、オマージュを欠かさずに原作を踏襲しながら、独自の存在感を放つ物語を描いているからだ。映画だからできること、映画だからできないことを正確に見極めたうえで、物語に映画独自のカスタマイズを施している。例えば、"MW"に翻弄される「賀来」と「結城」の宿命という観点では、2人が同郷という設定の本作が分かりやすい。例えば、「賀来」と「結城」の切っても切り離せない絆という観点では、過激な描写を含む原作が2人の関係性を生々しく描いている。原作と映画にこうした違いはあっても、物語の流れは変わらない。それゆえに、原作を読んで本作を観賞する人も、本作を観賞して原作を読む人も、2通りの「MW」を楽しむことができる。むしろ、2通りの「MW」がある、と思えるかどうかが鍵になりそうだ。
      
      物語をかき乱す"MW"という謎めいたキーワード。その名称の由縁は原作でも明らかにならないが、有力な一説に基づいたヒントが、本作の主題歌である「flumpool」の"MW ~Dear Mr. & Ms. ピカレスク~"というタイトルに隠れている。ところが、原作を知らず、本作を観賞しただけでは、おそらくストーリーから納得の答えを見出せないはずだ。それは原作で描かれていて、映画では描かれない要素があるからだ。「MW」という物語の映画化は原作ありきで魅力的要素が加味されているべき、と考えるのであれば、本作は言葉足らずだとも言える。原作と本作の違いを比較すれば、もっとも象徴的であるのは、山田孝之演じる「賀来」の存在感だろう。「賀来」が「結城」から逃れられない理由や「賀来」が神の道を選んだ理由、ずばり同性愛描写の説得は、やはり原作のほうが力強い。加えて、原作では人間らしく動的に行動する「賀来」があることで、静的に凶行を重ねる「結城」のおぞましさが強調されたが、本作は物語をアレンジして見せる上で、動性を「結城」に委ねるしかなく、結果的に静的な「賀来」の存在感は寂しいものになってしまった。
      
      しかしながら先に述べたように、映画表現の制約という現実を捉えれば、精一杯の鋭意と努力は垣間見える出来である。恥を承知で述べると、はたして手塚治虫が「MW」で何を主体的に描きたかったのか、原作を読んで、本作を観賞して、それでもなお確信が掴めないのだが、原作と本作、双方で描かれていたのは、人間性ひいてはドラマ性を排除した狂気、欲望の世界であり、カタルシスや正義のない混沌であった。原作を読みきったときと同じ、ずぶずぶと「結城」の狂気に飲み込まれるような脱力感や絶望感が本作にもあった。

      コントラストの強い荒々しい色彩が作り出す独特の雰囲気の中、サスペンス要素を伴いながら作品はスピーディに展開していく。作品の出来や作りの巧妙さは上々と評価したい。だが、やはり"禁断の傑作"と謳われるインパクトの強い原作の映画化である。それだけに本作の価値はそれぞれに、物議を醸しそうな一作である。作品の主張が寡黙なだけあって、玉木宏のカッコ良さばかりが押し出てている感も否めないが、彼や原作のファンのみならず、興味があるなら観賞に損はないだろう。
       
    ● 関連作品 ※レビュー対象外
    MW -ムウ- 第0章 ~悪魔のゲーム~ [TV/2009年]
     → タイアップ作品、TVムービーとして放送
      
    ● 製作代表 : Amuse Soft Entertainment
    ● 日本配給 : GAGA Communications
    ● 世界公開 : 2009年07月04日 - 日本
    ● 日本公開 : 2009年07月04日
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    by movis | 2009-07-03 23:26 | 邦画
    真夏のオリオン / Last Operations Under the Orion
    ● 真夏のオリオン / Last Operations Under the Orion [日本 / 2009年]
     
    b0055200_2113089.jpg誰が1人欠けたとて、成立しないだろうな、と思えるほどのキャラクターの魅力。あらゆる要素がバランスよく描かれ、安心して観賞できる作品だが、メッセージの熱さが意表を突く優秀なドラマ。過去を描いたつもりはない、という福井晴敏の真意にも注目。
     


    監督は、「地下鉄(メトロ)に乗って」の篠原哲雄。監修は、著作『亡国のイージス』『終戦のローレライ』の福井晴敏。原作は、池上司の『雷撃深度一九・五』。「倉本孝行」役には、玉木宏。「倉本いずみ」「有沢志津子」役には、北川景子。「有沢義彦」役には、堂珍嘉邦。「坪田誠」役には、平岡祐太。「遠山肇」役には、黄川田将也。「鈴木勝海(17歳)」役には、太賀。「森勇平」役には、松尾光次。「早川伸太」役には、古秦むつとし。「小島晋吉」役には、奥村知史。「山下寛二」役には、戸谷公人。「久保憲明」役には、三浦悠。「岡山宏次」役には、山田幸伸。「有馬隆夫」役には、伊藤ふみお。「秋山吾朗」役には、鈴木拓。「マイク・スチュワート」役には、デヴィッド・ウィニング。「ジョセフ・フリン」役には、ジョー・レヨーム。「桑田伸作」役には、吉田栄作。「鈴木勝海(現在)」役には、鈴木瑞穂。「中津弘」役には、吹越満。「田村俊雄」役には、益岡徹。

    "きっと帰ると、オリオンの星に誓った。"
    『あの夏、私の祖父が何を失い、何を手にしたのか―。それを知りたくて、こうして手紙を書いています』。翌年から教員という進路が決まっている「倉本いずみ」のもとに、アメリカから1通の手紙が届いた。差出人の祖父「マイク・スチュワート」は、第二次世界大戦期、アメリカ海軍の駆逐艦"パーシバル"艦長として日本と戦い、輝かしい戦歴を誇ったにも関わらず、戦争のことは何も語らなかったという。当時の携行品も残さないという徹底振りであったが、唯一大切に保管していたものがあった。それは「倉本いずみ」に届いた手紙に同封されていた、イタリア語のメッセージと彼女の祖母「有沢志津子」のサインが添えられた1枚の楽譜だった。「倉本いずみ」は教育実習の過程で生徒から、なぜ人は戦争で殺しあうのか、と問われていた。確信を持って答えることができなかった。なぜ遠く離れたアメリカの地に祖母の楽譜が眠っていたのか、64年前の夏に何があったのか。彼女は、祖父「倉本孝行」が指揮を執った"イ-77"艦に乗務していた「鈴木勝海」を訪ねた…。

     
      池上司による原作『雷撃深度一九・五』を、「地下鉄(メトロ)に乗って」の篠原哲雄が映画化。監修を、『亡国のイージス』や『終戦のローレライ』などの著作を持つ小説家、福井晴敏が務める。狭い潜水艦の中で、アメリカ海軍に戦いを挑む男達の姿を描いた戦争ドラマ。ディック・パウエル監督の「眼下の敵」をリスペクトしているとの言葉通りの知的な戦略ゲーム、フレンドシップやロマンス、そして戦争の悲惨さなどがほどよいバランスで表現されているので、安心して観賞できる作品だ。突出して何かが特長的ともいえないが、観賞後の嬉しい余韻は、ここで描かれている人間そのものが非常に魅力的であったからだ。

      物語のトリガーは現代を生きる「倉本いずみ」にアメリカから届く一枚の楽譜であるが、この設定が巧い。手紙でも書物でもよく、楽譜というアイテムは一種のマクガフィンと言えるのかもしれないが、「有沢志津子」がイタリア語でメッセージを添えたように、英語の使用が禁じられていた当時の日本人とアメリカ人が互いに価値を認めることができるアイテムであるべき、と考えれば、自ずと楽譜であることの意味が説得力を帯びてくる。こうして「有沢志津子」が愛する「倉本孝行」の無事を祈って作曲した"真夏のオリオン"という楽曲は、アメリカ海軍の「マイク・スチュワート」の心にも響いていく。なぜ「マイク・スチュワート」が戦歴を自慢することもなく、当時の携行品までをも処分したのか、詳細については言及されないが、唯一残したものが"真夏のオリオン"の楽譜だったというところに、物語の本質が強調されているようにも思える。
     
      その物語の本質とは、"真夏のオリオン"が作曲された背景を見れば明らかであろう。「倉本いずみ」が生徒に問われて答えに窮した『なぜ戦争で人は殺しあうのか』という疑問。恐らくは「倉本孝行」と「マイク・スチュワート」も楽譜を目の前にして同じ疑問が頭を過ぎったのではないか。それでも、彼らには戦い続けなければならない互いの立場があって、本作は暗黙的ではありながらも戦争の困難と犠牲に対する深慮を誘ってくるのだ。

      ところが、監修の福井晴敏は、プレス取材の中で『過去を描いたつもりはありません』と明言しているのだ。「ローレライ」と本作の在り方の違いを彼はこう述べる。『「ローレライ」においては、未来、すなわち我々が生きる現代に希望を託し、進んで捨石になった人々の姿を描きました。(中略)生きる意義を再発見してもらえないものかと目論んだのです。(中略)過去を確認して現代をありがたがっていられるものか?答は考えるまでもありません。現代こそが困難な時代になったのです』。つまり、本作は第二次世界大戦を舞台に描かれているものの、過去から日常の有難みを知るのではなく、過去から学び、それを未来に活かそうと提案を投げかけているのだ。福井のメッセージを意識すれば、単なる戦争ドラマだとは思えないだろう。
     
      彼の主張の代弁者となるのが、玉木宏、北川景子らをはじめとした俳優陣である。冒頭でも述べたように、彼らの仕事が非常に冴え渡った。あらゆる登場人物に個性があって、キラキラと輝いているのである。本作の主な話題のひとつは、JPOPの人気デュオ「CHEMISTRY」の堂珍嘉邦と、人気お笑いコンビ「ドランクドラゴン」の鈴木拓、両名の出演であろう。こういった異なったワークフレームの人間の演技は、怖いもの見たさで観賞することが多いが、期待は嬉しく裏切られた。堂珍嘉邦は"イ-81"艦の艦長「有沢義彦」役として、「倉本孝行」の親友、「有沢志津子」の兄として、玉木宏、北川景子と堂々と渡り合った。鈴木拓は、"イ-77"艦の烹炊長「秋山吾朗」役として、飯食らいの「倉本孝行」の指示に間延びした返事をするものの、艦員に美食を提供しようと奮起する忠実な主計科員を演じきった。

      優男だが部下を愛し「もったいない」という名台詞を生んだ「倉本孝行」を演じた玉木宏、「倉本いずみ」と「有沢志津子」という心境の異なる二役を見事に演じ分けた北川景子、人間魚雷と言われる"回天"の搭乗員として使命を真っ当しようとする「遠山肇」役を冷静に演じた黄川田将也など、ここには書き尽くせぬくらい、登場人物には異なる存在感がみなぎっている。福井晴敏の面食らうような意外性のあるメッセージは、こうした俳優陣の仕事振りで、何倍も熱く、優しくスクリーンを彩っているのだ。例えば、「倉本孝行」や「有沢義彦」らはなぜ若くして知的な戦略ゲームを繰り広げられるほどの艦長になりえたか、など、背景が語られてほしいシーンも少なくないのであるが、希望を与えてくれるエンターテイメントとして極めて優秀なドラマだ。福井晴敏は、コメントをこう締めくくっている。『「真夏のオリオン」の真夏は、2009年の真夏なのです』、と。
     
    ● 製作代表 : テレビ朝日
    ● 日本配給 : 東宝
    ● 世界公開 : 2009年06月13日 - 日本
    ● 日本公開 : 2009年06月13日
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    by movis | 2009-06-06 21:06 | 邦画
    252 生存者あり
    ● 252 生存者あり [日本 / 2008年]

    b0055200_2495667.jpgプロローグの語り口、カタストロフィの表現は舌を巻くほどの圧倒感があるにも関わらず、作品の方向性が不安定で、ストーリーが迷走してしまっている点がはがゆい。包括的に"スペクタクル"を期待するのはお勧めできない。最大の見所は、内野聖陽の好演か。



    監督は、「舞妓 Haaaan!!!」水田伸生。「篠原祐司」役には、伊藤英明。「篠原静馬」役には、内野聖陽。「重村誠」役には、山田孝之。「海野咲」役には、香椎由宇。「藤井圭介」役には、木村祐一。「キム・スミン」役には、MINJI。「宮内達也」役には、山本太郎。「篠原由美」役には、桜田幸子。「篠原しおり」役には、大森絢音。「真柴哲司」役には、杉本哲太。「津田沼晴男」役には、温水洋一。「小暮秋雄」役には、西村雅彦。

    "史上最大の巨大台風日本直撃"
    ある日の午後、首都圏を震度5の直下型地震が襲う。人々に与えた衝撃はさほど大きいものではなく、数日後には平穏が戻った。自動車のディーラーに務める「篠原祐司」は、仕事の内容と相性が悪く、いつしか煙草に手が伸びるようになっていた。その原因は前職への想いを断ち切れていないからだ。それは彼の妻「由美」には手にとるように理解できた。そろそろ、愛娘「しおり」の誕生日が近い。「しおり」は耳が不自由だが、手話でしっかりと"不思議なものがほしい"と訴えた。彼女の誕生日、「祐司」は「由美」、「しおり」と銀座で待ち合わせることになった。数日前の直下型地震が海水温度を急騰させ、巨大な台風を生んでいることなど露も知らず…。


      日本テレビの企画制作によるパニック・ドラマ。巨大な台風によって首都圏が壊滅的なダメージを負った中での、東京消防庁ハイパーレスキュー隊の活躍と、窮地を共にした人間たちの交流を描く。本作公開前日の12月6日には、日本テレビ系列にて単発のテレビドラマ「252 生存者あり episode.ZERO」がタイアップされ、市原隼人、阿部力、上原多香子らが主演を務める中、本作の主演陣らも特別出演を果たした。

      未曾有の自然の猛威が首都圏を襲い、人は逃げ惑い、大半はあっさりと命を落としていく。作品のモチーフは稀少なものではないが、カタストロフィの描き方は非情であり、挑戦的。実際にソフトボール大の雹が降ってきた事例も、都市部を津波が襲った事例もあるようで、もしもこれが現実のものとなったら、という想像をするだけで心の底から恐怖がにじみ、わきあがるような圧倒感がある。地下鉄のホームから地上に出ようと群がる人々を濁流が一気に押し返す、という、思わず撮影の舞台裏が知りたくなってしまうシーンがあるが、少なくとも東京近郊を生活の拠点としている人間にとっては洒落にもならぬ、危機感の高まりを禁じえないだろう。

      かつて観賞した邦画のパニック作品の中でも、本作の危機描写は突出した絶望感を伴っているが、そこからエピローグに向けてのストーリー展開が迷走を極めてしまっている点が残念でならない。つまりは宣伝広告が謳う"スペクタクル"と"ドラマ"がうまく共存できていない感がある。物語最大の魅せ場であるはずの"18分間"を巡るシーンに至っても、感動を狙いとする演出が強調されてしまい、緊迫感を得るには力及ばない。純粋なパニック作品を期待していたわけでもないのだが、ドラマの魅せ方があまりに露骨であった。物語の中心となっていく「篠原祐司」、「重村誠」、「藤井圭介」、「キム・スミン」らが各々に生活に悩みや悲しみを抱えているという設定すら、どうも痛々しい。観賞者に対して、彼らの生還を願わせようとする感情移入のコントロールであることは理解できるが、それにしては物語が饒舌すぎた。

      物語は、そうした"救助される側"と、対して"救助する側"の2つの視点で描かれる。前者の「篠原祐司」と後者の「篠原静馬」が織り成す、兄弟の絆を描くエピソードも前後関係が語られないために、感動的というには違和感がある。しかしながら、救いは「篠原静馬」を演じた内野聖陽の熱演か。喜怒哀楽を鋭く表現し、レスキュー隊長を力強く、頼もしく演じた。本作は人を選ばず、たとえテレビ放映された「252 生存者あり episode.ZERO」を観ていなくとも、筋を追える寛容な作品であるし、プロローグのカタストロフィは一見の価値がある。そうした魅力もあるだけに、作品の方向性が不安定であることこそが、最もはがゆいのである。

    ● 関連作品 ※レビュー対象外
    252 生存者あり episode.ZERO [TV/2009年]
     → タイアップ作品、TVムービーとして放送

    ● 製作代表 : ツインズジャパン
    ● 日本配給 : Warner Bros.
    ● 世界公開 : 2008年12月06日 - 日本
    ● 日本公開 : 2008年12月06日

    (2009/07/11: 関連作品更新)
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    by movis | 2008-12-21 02:54 | 邦画
    ハッピーフライト
    ● ハッピーフライト [日本 / 2008年]

    b0055200_6101999.jpg航空業界というテーマを選らんだ邦画の中では際立ってオーセンティックな作品。突出した派手さはないが、航空業務のスペシャリストたちの魅力がしっかりと、されどコミカルに描かれている。群像劇を無駄なく描き、細部まで緻密に作り込まれている点に感化された。



    監督は、「ウォーターボーイズ」「スウィングガールズ」の矢口史靖。「鈴木和博」役には、田辺誠一。「斎藤悦子」役には、綾瀬はるか。「原田典嘉」役には、時任三郎。「田中真里」役には、吹石一恵。「木村菜採」役には、田畑智子。「山崎麗子」役には、寺島しのぶ。「高橋昌治」役には、岸部一徳。他キャストには、笹野高史、菅原大吉、田中哲司、ベンガル、田山涼成、正名僕蔵、藤本静、平岩紙、中村靖日、肘井美佳、森岡龍、長谷川朝晴、いとうあいこ、森下能幸、江口のりこ、宮田早苗、小日向文世、竹中直人、木野花、柄本明ら。

    "ヒコーキ、飛ばします。"
    全日本空輸の若手キャビン・アテンダント「斎藤悦子」は、いよいよ初めての国際フライトを担当する。彼女の期待は膨らむ一方であったが、同期から「悦子」と同じフライトに厳しいキャビン・アテンダント「山崎麗子」が同乗することを知らされる。機長への昇格がかかったOJT修了を目前に気を引き締める「鈴木和博」。フライトシュミレータでの訓練結果は散々たるものであったが、教官となる機長は審査が易しいことで有名だ。ところが、突然、担当が威圧感を醸し出す「原田」という機長に変更されたのであった。オンタイムフライトを目指すように、と上司に叱咤されたグランド・スタッフの「木村菜採」は、変わり映えのしない毎日と、マイペースな後輩の教育を担当していることに辟易としている。またしても、クレーム対応に呼び出しを受ける。その頃、スポットでは整備士たちが駐機している"B747"のメンテナンスに大忙しだ。彼らの目的は同じ。東京羽田発ホノルル行きのチャーター便、1980便を安全に、快適に航行させること…。


      「ウォーターボーイズ」や「スウィングガールズ」では若者の青春を瑞々しく描いた矢口史靖が、今度は航空業界に焦点を当てた。もともとは"エアポート"シリーズのような、ドラマやパニックを盛り込んだ作品を構想していたが、取材を重ねるうちに、航空会社スタッフたちの日常は、非現実的なストーリーよりも面白い、ということに気付いたのだという。作中には、バード・ストライク(鳥が航空機の離発着に支障となるアクシデント)を防止するバート・パトロール、通称「バードさん」役をベンガルがコミカルに演じているが、矢口が、彼の姿を取材協力者のイメージに重ねている、と語っているところにも、本作の動機が表れている。全日空の全面協力を受けて、彼は航空スタッフの群像劇を描いた。

      航空業界を舞台とした群像劇といえば、私的にお気に入りの「大空港」を浮かべるが、突き抜けるような派手さはなく、代わりに安心して観賞できる易しい作品であった。何より特徴的であるのは、1便の航務に焦点を当てて、数ある職務の関わりをバランスよく、されど細部まで緻密に描いている点だ。"ハンガーではペン1本すら失くしてはいけない"ことやロード・ファクター向上のための座席アサインの最適化など、目からウロコな航空トリビアも散りばめられている。

      グランド・スタッフ「木村菜採」とキャビン・アテンダント「田中真里」の衝突、という印象的なシーンがある。彼らスタッフの使命は、航空機の安全・快適・定刻運航の遵守であることは間違いないが、それぞれにテリトリーを持っていて、実は相互の業務を良く良くと知らない。矢口の語る"航空業界の面白さ"というのは、おそらくこういったクラムジーな人間関係にあるのだろう。

      こうしたシュールな世界を描いておきながらも、作品がドラマとしてもコメディとしても成立し得るのは、演者がそれぞれに与えられた役に成り切っていることで人間味のある温かい雰囲気が醸しだされているからか。だらしなく見える「高橋昌治」がここぞで見せる頭のキレ、愚痴の多い「木村菜採」の一生懸命さ、頼りない「鈴木和博」や「斎藤悦子」が発揮するポテンシャルなど、登場人物の持つ二面性が憎い。

      彼らのテンションをシンクロさせる、ある意味では抑制させることで、特定のヒーローやヒロインは不在だが、誰が欠けてもダメだろうなと思わせる。飄々としている作風であるものの、序盤でスタッフ同士のぎくしゃくとした関係を見せておきながら、結末に向けては暗黙的に団結感、統一感を見せてくる手口が非常に巧妙かつ爽快であった。

      ともすれば"飄々としている"その性格と、予定調和を踏み外さない古典的なストーリーがあって、宣伝広告が煽る期待に真っ向から応えられているかどうか怪しいところではあるが、数々のエピソードをコンパクトにまとめあげたバランスとディテールへのこだわりには感化された。少なくとも、航空業界というテーマを選んだ邦画作品の中ではオーセンティックな作品として際立っていることは間違いない。ハメを外さない範疇の中で、描かれるべきものがしっかりと描かれた精巧なドラマであった。

    ● 製作代表 : アルタミラピクチャーズ
    ● 日本配給 : 東宝
    ● 世界公開 : 2008年11月15日 - 日本
    ● 日本公開 : 2008年11月15日
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    by movis | 2008-11-22 06:26 | 邦画
    クライマーズ・ハイ / CLIMBER'S HIGH
    ● クライマーズ・ハイ / CLIMBER'S HIGH [日本 / 2008年]

    b0055200_12515094.jpg極限までの興奮に陥り、恐怖心が麻痺してしまう"クライマーズ・ハイ"という状態の一片を、スクリーンを通して体感できるような緊迫感のある作品だった。観賞後に残る、淡白だったという心象が残念ではあるが、世界に強く引き込む出演者の演技を堪能されたい。



    監督は、原田眞人。原作は、横山秀夫の『クライマーズ・ハイ』。「悠木和雄」役には、堤真一。「佐山達哉」役には、堺雅人。「玉置千鶴子」役には、尾野真千子。「安西耿一郎」役には、高嶋政宏。「白河頼三」役には、山崎努。「粕谷隆明」役には、中村育二。「追村穣」役には、螢雪次朗。「等々力庸平」役には、遠藤憲一。「岸円治」役には、田口トモロヲ。「田沢善吉」役には、堀部圭亮。「吉井弁次郎」役には、マギー。「神沢周作」役には、滝藤賢一。「亀嶋正雄」役には、でんでん。「伊東康男」役には、皆川猿時。「安西小百合」役には、西田尚美。「安西燐太郎」役には、小澤征悦。「黒田美波」役には、野波麻帆。

    "命を追った、あの夏"
    1985年8月12日、うだるような暑い夏の日。3日後に終戦記念日を控えたこの日、群馬県の地方有力紙"北関東新聞"の編集局では、中曽根首相の靖国公式参拝の動向を巡って緊張感が満ちている。そんなフロアを横目に、一匹狼の遊軍記者「悠木」は、販売局の親友「安西」から誘われた翌朝の谷川岳・衝立岩登頂に向け、着々と準備を進めていたのであった。重々しくザックを担ぎ、デスクを後にしようとした「悠木」のもとに、県警キャップ「佐山」が駆け寄って、耳打ちをした。ジャンボが消えた。「悠木」は脚を止める。事態を把握できず、しかし、とりあえず編集局を後にしようとした「悠木」であったが、まさにその時、共同通信社の速報がフロアに響き渡った。それは、東京羽田発大阪伊丹行き、日本航空123便が消息を絶った、という不穏な内容であった…。


      日本航空123便墜落事故は、小説やドラマなどのメディアで幾度と取り上げられてきた。『半落ち』の著者、横山秀夫による本作品の原作『クライマーズ・ハイ』もそのひとつである。彼は上毛新聞社で記者を務め、件の事故を取材している。この時の経験を、舞台を架空の新聞社"北関東新聞"にかえて描いた作品だ。同原作はNHKでテレビ映画として映像化されたが、劇場公開されたメジャー作品として、本作が日本航空123便墜落事故をテーマとした初の作品である。

      本作は、"大久保・連赤"事件以来の大きな出来事を扱うことになった地方新聞社が舞台だ。日航機事故に関わる全権デスクを担当することになった「悠木」を中心に、管理職との確執、記者の奮闘と苦悩、そして地方新聞社としてのプライドが描かれている。物語は独特のスピード感と緊張感を湛えて展開していく。145分という長尺作品でありながらも、息つく暇もなく、飽きることもなく、最後までしっかりと見通すことができる。だが、観賞後には映像が脳裏を巡るものの、特に印象的なシーンをピックアップできないことに気付く。

      つまり、作品に淡白な印象を受ける理由は、原作のオリジナリティをできるだけ活かそうとした結果ではなかろうか。映画は小説のように、人物の相関、物語の背景などの詳細を描ききれない。結果として、かろうじて行間を説得するためにエピソードを選ばなければならないのだが、それだけではやはり、スクリーンと客席には温度差が生まれ、メッセージを伝え損ねる危険もある。加えて、地方新聞社としてのプライド、報道モラル、利を巡る争い、真実を伝えることへの想いなど、複雑な要素が絡んで成り立っている作品である。分からなければ読み返せる小説と違って、突き進むことしか知らない映像に、観賞者は距離を放されがちになってしまう。この手の作品は難しい。

      ところで、"クライマーズ・ハイ"とは、登山家が経験する、極限まで気分が興奮するために恐怖心が麻痺してしまうという精神状態のことだ。本作の醍醐味は、この"クライマーズ・ハイ"よろしく、怒号が飛び交う編集局員の遣り取りや奮闘の様子に、異常なまでの興奮を得ることができる点だ。作品の緊張感や逼迫感もここから生まれており、その源流は堤真一、堺雅人らを初めとした、いわゆる真っ当な"演技派"が名を連ねているところにある。演技を感じさせない演技、と書くと言葉が拙いが、演技には演技っぽさがあると思い込んでいるから、かえってスクリーンの会話や挙措動作が自然であると、嬉しい違和感を覚える。本作はまさにその象徴だ。遠藤憲一演じる社会部部長「等々力」が、若手記者を説教するシーンがあるのだが、「なに、お前ら、無線を欲しがってるんだって?」というその他愛のない一言に鳥肌が立ってしまった。業界こそ違えど、自身の会社生活に熱い血を流してくれるようであった。"クライマーズ・ハイ"という登山用語や、ビリー・ワイルダー監督「地獄の英雄」の一節がキーになったりと、伏線の切れ味もよい。

      作品の切り口が記者の視点ということもあって、日本航空123便墜落事故を知るための教材としては、婉曲的ともいえる。とは言え、決して忘れてはいけない事故である、ということを再認識することができた貴重な作品であった。最後となったが、この事故で亡くなった520名の乗員・乗客の方々の冥福と、生存された4名の方々の多幸を心より祈る。

    ● 製作代表 : Be Wild
    ● 日本配給 : 東映 / GAGA Communications
    ● 世界公開 : 2008年07月05日 - 日本
    ● 日本公開 : 2008年07年05日
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    by movis | 2008-07-13 12:57 | 邦画
    少林少女
    ● 少林少女 [日本 / 2008年]

    b0055200_22564464.jpgとにかく、元気がよく、目に映るものは楽しい作品であった。しかし、こうした素材がうまく活きなかったか。破綻し、強引に予定調和に持ち込まれるプロット。クレジットにも名を連ねるチャウ・シンチーへのオマージュはどこに…。岡村隆史ファンとしては、なかなか満足!



    監督は、"踊る大捜査線"シリーズの本広克行。エグゼクティブプロデューサーには「少林サッカー」のチャウ・シンチー。「桜沢凛」役には、柴咲コウ。「大場雄一郎」役には、仲村トオル。「劉ミンミン(※1)」役には、キティ・チャン。「ティン」役には、ティン・カイマン。「ラム」役には、ラム・チーチョン。「田村龍司」役には、岡村隆史。「岩井拳児」役には、江口洋介。「清水真実」役には、山崎真実。

    "彼女に日本は狭すぎる。"
    中国、"少林拳武術学校"。三千日の厳しい修行を終えた者たちが、この地を旅立とうとしていた。故郷に戻ってからの決意を口にする面々。「桜沢凛」のそれは、日本に少林拳を広めること。しかし、「凛」を見送る老師たちには、彼女の内に秘められた未知数の気が闇に利用されてしまうのではないか、という不安があった。一方、日本に帰国した「凛」は、祖父が開いた"少林拳練功道場"に向かう。ところが、道場はすでに荒廃していた。事情を把握するため、兄弟子のもとを訪ねた「凛」は、かつての先生が中華食堂を営んでいることを知り…。


      "踊る大捜査線"のTVシリーズでは演出を、映画シリーズでは監督を務めた本広克行が、「県庁の星」「HERO」などの邦画話題作を製作した亀山千広と格闘アクションを描く。また、「少林サッカー」「カンフーハッスル」のチャウ・シンチーが、エグゼクティブプロデューサとしてクレジットに名を連ねている。

      はじめに、元気がいい作品であることを認めておきたい。元気がいいから、エピローグの後味が悪い理由もない。「mihimaruGT」のタイアップ楽曲も作品の余韻を楽しく盛り上げる。主演格の顔ぶれも個性的であり、「少林サッカー」や「カンフーハッスル」に出演したティン・カイマンとラム・チーチョンもうまく溶け込んでいる。目に映るものが楽しい。

      一方で、憂鬱も少なくない。チャウ・シンチーの「少林サッカー」や「カンフーハッスル」は邦画には類を見ないような掟破りのスタイルを貫いていた。これらの作品にモチーフがあるとしても、本作が同じ路線を歩む必要はない。しかし、作品の方向性が迷走してしまっている点が最大の問題だ。少林拳を広めたい「凛」と、ラクロス部を立て直したい「ミンミン(※1)」の思惑が一致し、相互に理解を示していく。コメディを押すプロットに、こうしたドラマを含めた。ところが、どうもクライマックスに上手く結びついていかない。ストーリーを破綻させるならそれでも良かったが、それならせっかくのドラマが引き立たない。ここにジレンマがある。

      結局のところの原因は、開き直りが足りなかったことではないだろうか。力任せな作品にも仕上げきれなかった。モチーフがモチーフであるだけに、演者が演者であるだけに、思い切った演出もできず、日本人の口に合うように作り上げるには難しい作品だっただろう。ああでもない、こうでもないという製作陣の迷いが目に見えるようである。そうであるから、オマージュも明確にならなかった。登場人物の行動や言動の動機には勢いを与えてしまっただけに、予定調和を歩むにも強引な舵取りが必要だった。冒頭で述べたような魅力も備えているだけに、はがゆい思いを禁じえない作品だった。

      ここからは完全に余談。私は岡村隆史のファンである。本作は彼目当てだった、と言っても過言ではない。「岸和田少年愚連隊」や「無問題」は別として、こうした規模の大きな作品で、物語に不可欠なキーパーソンを演じているではないか。矢部浩之をパートナーに持つ岡村隆史と、矢部浩之の実兄がマネージャーを務めていた山崎真実が劇中で肩を並べているのも変な感じだ。こうして、偏った期待を持っていたから本作はなかなか満足であった。岡村隆史に存在感のあるこんな作品を、『待っとったでぇ~』。

    ※1 ... 王:おうへんに民

    ● 製作代表 : Fuji Television Network
    ● 日本配給 : 東宝
    ● 世界公開 : 2008年05月29日 - 香港
    ● 日本公開 : 2008年04年26日
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    by movis | 2008-05-20 00:14 | 邦画
    僕の彼女はサイボーグ
    ● 僕の彼女はサイボーグ [日本 / 2008年]

    b0055200_5275532.jpg「猟奇的な彼女」「僕の彼女を紹介します」に次ぐ、クァク・ジェヨンの"彼女"シリーズ第3弾作品。ストーリーに強引さも見え、清楚なロマンスを期待していると失望するかもしれないが、綾瀬はるか、小出恵介の演技は、おそらくクァク・ジェヨンの期待に応えている。



    監督は、「猟奇的な彼女」「僕の彼女を紹介します」のクァク・ジェヨン。「彼女」役には、綾瀬はるか。「北村ジロー」役には、小出恵介。他キャストには、桐谷健太、竹中直人、田口浩正、遠藤憲一、小日向文世、吉行和子、吉高由里子、ドロンズ石本ら。

    "ねぇ、ジロー。あなたと過ごした大切な一日。私は何度生まれ変わってもあなたに恋をするよ。"
    2008年11月22日、この日は「北村ジロー」の21歳の誕生日。これまでは、誰にも誕生日を祝ってもらえなかった彼であったが、1年前は違った。誕生日を祝ってくれた"彼女"が確かにいたのだった。2007年11月22日、「ジロー」の20歳の誕生日。デパートで自分への誕生日プレゼントを購入した「ジロー」は、彼に笑顔を振りまく1人の女性に出会う。「ジロー」はそんな彼女を怪訝に思いながらも、いきつけのレストランで食事をする。すると、そこにも"彼女"は現れた。『私も今日、誕生日なの』。"彼女"の勢いに「ジロー」は何も言えず…。


      「猟奇的な彼女」「僕の彼女を紹介します」のクァク・ジェヨンによる"彼女"シリーズの第3弾作品。2003年に開催されたゆうばり国際ファンタスティック映画祭で、ヤング・ファンタスティック・グランプリ部門の審査員を務めたクァク・ジェヨンと山本又一朗の出会いが、本作が生んだといえるかもしれない。日本のみでのロケ、日本人のみの起用を実現しているが、これは"あずみ"シリーズや「クローズ ZERO」をプロデュースした山本又一朗の提案のようである。そうとは言え、例えば喜怒哀楽の表現の鋭さといったような韓国作品に見られる独特の特徴が、必然ながら本作にも反映されている。

      その最たるものとしては、序盤は主演の姿を追うだけで理解が可能なストーリーを見せておきながら、終盤に向けてドラマ性が頭をもたげてくるプロットの持ち方である。安直に、歪に思えるようであっても、最終的にその部分はストーリー上で補われていく。これはなかなかいやらしい構成の打ち方であると思う。それは、プロローグではほのぼのとさせる惚気のエピソードを見せ付けておきながら、エピローグでは伏線の意味を解き明かしながら、観賞者の気持ちの八方を塞ぎ、やり場のないセンチメンタルを与えていくからである。

      本作もこうしたプロットをたたえておきながら問題であるのは、ストーリーが強引に展開していく点、二転三転と転ぶ結末の予感を何度と見せておきながら結局は予定調和を歩んでしまっている点だろう。これはサイボーグとのロマンスというテーマが難しいからなのであるが、ロマンスは自然な流れで観たい、去り際は潔くみせてほしい、という自分のわがままである。こうした上で、作品の見所は、やはり綾瀬はるかと小出恵介両名の演技に落ち着くだろうか。特に綾瀬はるかに関しては、おおよそ容姿とは相容れない設定を受けながらも、無表情をベースにしっかりとサイボーグを表現してみせてくれた。小出恵介も心は優しいがどこか情けないダメ男っぷりを見事に演じた。女性を力強く描き、男性を滑稽にみせるクァク・ジェヨンの作風に対して、両名の演技は立派に応えたと思う。

      ストーリーには強引さも見えるがゆえに、清楚なロマンスを期待すると失望してしまう可能性も示唆しておきたいが、綾瀬はるかと小出恵介の魅力は引き出されていようか。彼らのファンであるならば必見だろうが、ファンならずとも両名の演技あって見て損というわけでもないだろう。

    ● 製作代表 : Amuse Soft Entertainment
    ● 日本配給 : GAGA Communications
    ● 世界公開 : 2008年03月20日 - 日本(ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2008)
    ● 日本公開 : 2008年05月31日
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    by movis | 2008-05-11 06:02 | 邦画
    七人の侍
    ● 七人の侍 [日本 / 1954年]

    b0055200_6155426.jpg言わずとしれた巨匠、黒澤明を代表する作品のひとつ。時代劇やアクションの要素が高精度に描かれているのはもちろんのこと、これらを支える伏線の存在感が非常に鋭い。3時間を超える長尺が苦痛に感じなかった。名作と称される由縁、確かにこの目で見た。



    監督は、「羅生門」「隠し砦の三悪人」の黒澤明。「勘兵衛」役には、志村喬。「菊千代」役には、三船敏郎。「七郎次」役には、加東大介。「五郎兵衛」役には、稲葉義男。「平八」役には、千秋実。「久蔵」役には、宮口精二。「勝四郎」役には、木村功。「志乃」役には、津島恵子。「利吉」役には、土屋嘉男。「万造」役には、藤原釜足。「与平」役には、左ト全。「茂助」役には、小杉義男。「儀作」役には、高堂国典。

    [NO TAGLINE]
    戦国時代、各地で勃発した戦乱はさまざまな問題を引き起こした。野武士の横行もそのひとつである。とある貧しい山村、農民たちは、野武士との懸命な談合によって命だけは守ったものの、あらゆるものを奪われてしまった。そんな折、1人の農民が野武士の新たな奇襲計画を知り、村は恐怖と絶望に包まれる。我慢も限界に達した若い百姓「利吉」は、野武士との対峙を提案する。周囲の賛同をなかなか得ることができなかったが、村の長老「儀作」から、空腹の侍を雇うという策が立つ。早速、「利吉」、「万造」、「与平」、「茂助」は侍を定めるべく街へ出掛けるが、飯を食わせるから野武士を討伐してくれ、という条件に耳を貸す者はなかなか現れず…。


      言わずと知れた巨匠、黒澤明を代表する作品のひとつ。1954年、第15回ヴェネチア国際映画祭では、監督を評価する銀獅子賞を受賞した。この作品は国内外の業界に大きな影響を与えた。同じ志をもつ7人が集う、というモチーフが「荒野の七人」や"スター・ウォーズ"シリーズで応用されていることも有名である。リアリティに拘り、納得できるまで作品を作り上げていく、という黒澤のストイックな姿勢が、本作にも堂々と反映されている。

      単刀直入に、面白い。俯瞰すると知的で緻密なプロットの上に作品が構成されていることが分かるのであるが、随所でコメディしかり、黒澤のユーモアが光っている。百姓に雇われた侍が野武士から村を守っていく、という軸をしっかりと見捉えながら、伏線は完璧に回収している。補助的なエピソードに意識が振られるのであるが、結局はうまく本流に結びついていくのである。本作では、こうした快感を幾度と得ることができる。作品の中には喜怒哀楽が散りばめられているのであるが、とりわけ楽しいシーンの印象が強い。思わず、ドッと笑ってしまうようなものも少なくない。こうした黒澤のユーモアを、演者は正確に表現している。その中でも「菊千代」演じる三船敏郎のハマり様は奇跡を見ているかのようであった。

      強きが弱きを助ける、というシンプルな作品に落ち込んでいないのも良い。序盤、勝ち気だが傲慢な侍と臆病で卑屈な農民はなかなか相容れないのであるが、次第に相互の先入観を捨て、理解を示していく。こうした作品のテーマになりそうなドラマ要素も、本作に至っては作品を盛りたてるための素材であるのだから、ただただ感銘を受けるばかりである。ところで、さて野武士が攻め入ろうか、という折に、侍が農民を嫌悪するエピソードがあるのだが、その原因がすぐには分からなかった。これに代表されるような、かつての日本人が持っていた、近代では淘汰されてしまったものの考え方や価値観が発見できる点も実に興味深かった。

      本作はあくまでも時代劇であり、アクションである。数々のスタイルを確立した黒澤明であるから、これらの要素が高精度を誇っているのは言うまでもない。しかしながら、作品はそれだけで成り立っているわけではない。笑いあり涙あり、と言う言葉がこれほどまでに至言である作品は稀である。無言実行、寡黙で自身に厳しい「久蔵」に憧れた。大げさかもしれぬが、性格も生き方も違う七人の侍の中から、人生のロールモデルを探すのも良い。名作と称されるその由縁、この目でしかと見た。

    ● 製作代表 : 東宝
    ● 日本配給 : 東宝
    ● 世界公開 : 1954年08月 - イタリア(第15回ヴェネチア国際映画祭)
    ● 日本公開 : 1954年04月26日
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    by movis | 2008-04-29 06:20 | 邦画
    ゆれる
    ● ゆれる [日本 / 2006年]

    b0055200_0463756.jpg出口がない、絶望的で憂鬱な作品であった。描かれる人物の心的葛藤を前に、観る側の心も揺さぶられてしまう。"羅生門スタイル"という手法の選択にテーマが隠れているようにも思える。他人が何を考え、想うのか。そこに完全な理解は存在するのであろうか。



    監督は、「蛇イチゴ」の西川美和。「早川猛」役には、オダギリジョー。「早川稔」役には、香川照之。「早川勇」役には、伊武雅刀。「川端智恵子」役には、真木よう子。「岡島洋平」役には、新井浩文。「早川修」役には、蟹江敬三。「丸尾明人」役には、木村祐一。

    "あの橋を渡るまでは、兄弟でした。"
    母親の一周忌であるにも関わらず、写真家「早川猛」の表情に悲壮感は見られなかった。道中、父親である「勇」と実兄である「稔」が経営するガソリンスタンドに立ち寄った「猛」は、そこで働く一人の女性に目を留めた。声をかけるキッカケが見つからず、ふてぶてしく古びたエンジンを始動させる「猛」。その女性もドアを叩こうと拳をつくったが、空に上げたままだった。「稔」は、後片付けを進めながら「猛」と思い出話に華を咲かせた。幼馴染の「智恵子」がスタンドを手伝ってくれている、と報告する「稔」は、かつて母親に連れられた渓谷に3人で出掛けようと提案して…。


      カタルシスが得られず、救いのない、ある意味では重厚な作品であった。これは完全に意図されたもの。解釈を観る側に丸投げしてしまう、という西川美和の意地が悪く、大胆な演出である。

      唯我独尊を貫きながらもどこか満たされない「猛」に、実直であるが人間関係に不器用な「稔」を演じた、オダギリジョーと香川照之の演技力が抜群に映えている。それぞれの強い個性を薄めることなく、至極ニュートラルに、人間らしく「早川」兄弟を表現した。セリフの一言一句にまで頑固が表れる「勇」を演じた伊武雅刀や、虚無に打ちひしがれ淡々と生きる女性「智恵子」を演じた真木よう子など、助演陣の表現も巧い。人間の、延いては日本人独特の、閉鎖的であり、乖離的な心理が優秀に映像化されている。

      作品はこうした演者の力を得て、小規模でありながらも、ひとつの出来事を複数の視点で見せて理解を乱す"羅生門スタイル"で進行していく。物語が従えたサスペンスを、この手法で描いた点が良かった。他人が一体、何を考え、想うのか。その完全なる理解は不可能である。人はそれを知っている。知っているが、理解を求めるし、理解を試みる。場所や思い出などの共通認識を以って、自分自身を確認し、安心を得る。こうした心的葛藤を包み隠さずに主張するので、作品は絶望的でメランコリックだ。そして、観る側の精神もまた"ゆれる"のである。

    ● 製作 : TVMAN UNION
    ● 配給 : シネカノン
    ● 公開 : 2006年5月24日 - フランス(カンヌ国際映画祭)
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    by movis | 2008-03-06 00:52 | 邦画