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    カテゴリ:ドラマ( 29 )
    グラン・トリノ / Gran Torino
    ● グラン・トリノ / Gran Torino [アメリカ / 2008年]

    b0055200_20324767.jpg…完璧。うまく言葉で表現できないが、この作品に出会えたことが心から良かったと思えた。出会いが人を変えていく。その過程には笑いもあれば涙もある。エピローグに漂う不思議な優しさや温かさ。きっと観た人それぞれの心に何かを与えてくれる。本作の何もかもが愛しい。



    監督、製作、「ウォルト・コワルスキー」役には、「ミリオンダラー・ベイビー」のクリント・イーストウッド。「タオ・ロー」役には、ビー・ヴァン。「スー・ロー」役には、アーニー・ハー。「ヤノヴィッチ」役には、クリストファー・カーリー。「ミッチ・コワルスキー」役には、「ディパーテッド」のブライアン・ヘイリー。「スティーブ・コワルスキー」役には、「幸せのちから」のブライアン・ホウ。「カレン・コワルスキー」役には、「ロッキー・ザ・ファイナル」のジェラルディン・ヒューズ。「アシュリー・コワルスキー」役には、ドリーマ・ウォーカー。「デューク」役には、コリー・ハードリクト。「マーティン」役には、ジョン・キャロル・リンチ。「トレイ」役には、スコット・リーヴス。「ビュー」役には、ブルック・ジア・タオ。「スパイダー(フォン)」役には、ドゥーア・ムーア。「スモーキー」役には、ソニー・ビュー。「ウィリアム・ヒル」役には、ティム・ケネディ。「ユア」役には、チョウ・クー。

    "俺は迷っていた、人生の締めくくり方を。少年は知らなかった、人生の始め方を。"
    アメリカ、ミシガン州ハイランドパークに朝鮮戦争の帰還兵「ウォルト・コワルスキー」が住んでいる。月に一度「マーティン」のいる床屋へ行き、古くなった自宅を修繕し、愛犬「デイジー」を伴ってバルコニーで煙草を燻らせながらビールを呑む。長年フォード社で自動車工を務めた彼の一日は、そうして過ぎ去っていく。妻「ドロシー」に先立たれ、子供や孫たちとも疎遠、顔なじみだった隣人たちも去り、「ウォルト」は孤独だった。自動車産業発展期のハイランドパーク一帯の栄光を知る「ウォルト」にとっては、通りを練り歩くギャングたち、荒廃した住宅街、姿をかえた人間や街並みの全てが気にいらない。隣の家には、東南アジア系移民が越してきたようだが、そのことも鬱陶しい。かつて妻は「ウォルト」に懺悔を勧めたが、毎日のように訪ねてくる神父「ヤノヴィッチ」に告白することなど何もない。すべてが漫然だった。ある日、「ウォルト」宅のガレージに何者かが忍び込んだ。そこには彼の愛車"グラン・トリノ"が眠っている。「ウォルト」が今も大事に磨き上げているM1ライフルの銃口が捕らえたのは、隣家の少年「タオ」の姿だった…。


      タイトルの"グラン・トリノ"とは、アメリカの大手自動車メーカー、フォード・モーター・カンパニーが1968年から1976年にかけて生産販売したインターミディエイト、"トリノ"シリーズの一車種。1972年、"フォード・トリノ"シリーズのフルモデル・チェンジを受けて世に登場した"グラン・トリノ"は、当時のアメリカ自動車市場の中で大きな成功を収めた。本作には、ヴィンテージ・カーと位置づけられている"グラン・トリノ"の製造ラインでステアリングを取り付けていたのが他ならぬ「ウォルト」だった、という設定がある。また、"グラン・トリノ"に加えて本作における重要なキーワードは"モン族"である。ラオス、ベトナム、タイ、ミャンマーなど、東南アジア域に散在する少数民族のことだが、ベトナム戦争後、アメリカに移住した"モン族"には様々な苦難、苦境が待ち構えていた。それを乗り越えてきた逞しき"モン族"は"モン族"に演じさせたい、というイーストウッドの意向から、数多くのオーディションを経て、ビー・ヴァン、アーニー・ハーらに白羽の矢が立った。また、イーストウッドの息子である、スコット・リーブスが「トレイ」役で出演していること、カイル・イーストウッドが音楽を担当していることにも注目。

      「ミリオンダラー・ベイビー」の「フランキー・ダン」を彷彿とさせるような堅物「ウォルト」が、些細な出来事をきっかけに隣家のアジア系住民と心を通わせていくさまを描いたドラマ。哀愁が漂い、格調の高い趣を備えた作品ではあるが、思わず噴き出してしまうようなユーモアも伴っている。「ハリー・キャラハン」や「フランク・モリス」などの名役を演じつづけてきたクリント・イーストウッドが、俳優業最後の仕事とも語る。それが真の決断だとすれば、「ウォルト」という名の偏屈で頑固なじいさんが、彼のキャリアの集大成ということか。そこに抱く特別な感情は別にしても、本作は総じて完璧。もう私にとっては、これ以上ない宝物のような作品に出会ったような気分だ。

      「ウォルト」が唸り声を上げる。彼の子供や孫の内疎外親で滑稽な言動、行動。言葉の壁を超えた"モン族"とのコミュニケーション。こじんまりとしたコミュニティの中で出来事が展開されるにも関わらず、物語に壮大な奥行きを感じ得るのは、登場人物たちの心の移ろいが繊細に描かれているからであろうか。「ウォルト」の孤独感や近寄りがたさ、はたまた一見すると人種差別者かと思えるほど汚い言葉を口にしていた彼が、「タオ」や「スー」との出会いによって、次第にほぐれていくさまがありありと描かれている。その面白おかしい交流に思わず笑ってしまうことも少なくなかった。こうした温かいドラマが終盤に向けて暗調となっていくが、ハッピーエンドやバッドエンドという言葉では語れない不思議な余韻が身体を襲う。これぞ、イーストウッドの作品。ただ映像を追っても感泣ものだが、タイトルの"グラン・トリノ"が象徴するものとは、「ウォルト」がアジア人を毛嫌いする理由とは、「ウォルト」の愛用のジッポに刻まれている模様とは、「ウォルト」の懺悔とは、作品の節々に散りばめられたアイテムやエピソードの意味が解き明かされたとき、更なる哀歓がじわじわと滲み出してくる。

      ある意味では、近代のアメリカを包括的に象徴しているとも捉えられるが、実直でいること、相手を思い遣ること、人を愛すること、時代の変化を受け入れること。個人個人に人生のヒントのようなものを与えてくれるようにも思う。ピカピカに磨かれた"グラン・トリノ"が、「デイジー」を乗せて颯爽と駆けていく。優しくて温かい。本作の良さが言葉にし尽くせないことが悔しいが、私はこの作品に出会えたことが幸せとも思える。本作の何もかもが愛しい。ヒューマン・ドラマの傑作だ。
      
    ● 製作代表 : Matten Productions
    ● 日本配給 : Warner Bros.
    ● 世界公開 : 2009/01/09 - アメリカ
    ● 日本公開 : 2009/04/25

    (2009/06/02: 一部追記)
    (2009/06/05: 出演者情報追加)
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    by movis | 2009-05-31 20:50 | ドラマ
    7つの贈り物 / Seven Pounds
    ● 7つの贈り物 / Seven Pounds [アメリカ / 2008年]

    b0055200_4301348.jpgネタバレ厳禁という謎の多い作品に惹かれる。本作も同様に好奇な期待を込めて観賞し、見事に翻弄されたが、結論を知ると描法の選択は適切だったものかと疑いを持ってしまう。賛否を生んで然りの作品だが、ムッチーノの主張、意図はわかりやすいか。



    監督は、「幸せのちから」のガブリエレ・ムッチーノ。「ベン・トーマス」役には、「幸せのちから」のウィル・スミス。「エミリー・ポーサ」役には、「イーグル・アイ」のロザリオ・ドーソン。「エズラ・ターナー」役には、「ラリー・フリント」のウディ・ハレルソン。「ベン」の弟役には、マイケル・イーリー。「ダン」役には、「エネミー・オブ・アメリカ」のバリー・ペッパー。

    "Seven Names. Seven Strangers. One Secret."
    文字で埋まった資料群と携帯電話。サラリーマンのエリートともとれる「ベン・トーマス」の眼には決意と悲哀が映る。「ベン」はおもむろに、とあるネット販売会社のクレーム窓口に電話をかける。その対応に当たったのは、「エズラ・ターナー」という盲目の男。ピアノに才能がある彼だが、さすがにそれだけでは生計が立たず、電話対応の仕事に就き、そして「ベン」を対応することになった。「ベン」は「エズラ」に対して、購入した肉がまずかった、という事実をでっち上げ、それを皮切りに罵詈雑言を浴びせる。しかし、「エズラ」は挑発には乗らず、誠実に真摯に応えた。「ベン」は唯一の肉親である弟と、電話で意味不明な会話をする。国税庁職員の肩書きを持つ彼は、税金滞納者のリストを眺める。彼は、そこに名前のあった「エミリー・ポーサ」を訪ねることにする。ともかく、彼の行動には謎が多くて…。


      「幸せのちから」でコンビを組んだガブリエレ・ムッチーノとウィル・スミスが、再びヒューマン・ドラマの制作に挑んだ。相変わらずのウィル・スミスの熱演や、これまで気丈な役柄の多かったロザリオ・ドーソンの女性らしい演技など、眼でみて楽しい魅力を備えた作品ではあったものの、ストーリーの本流を明かさない予告編で煽られた好奇な期待はやや打ち砕かれた感がある。

      ストーリーの本流を明かさない予告編とは、ただ「ベン」が人々に対して何がしかの奉仕を施し、なぜだか悲痛な表情を浮かべる、という意味深なシーンを映し出したものであった。当然のことながら、それに対する好奇な期待というのは、「ベン」の行動の動機と目的である。これと、『ウィル・スミスだから安心』という下心が観賞のモチベーションだった。結論を最期まで明かさない、または物語を先読みさせないミスリードを含める、といった作品は本作に限らないわけだが、"ヒントのようなもの"を小出しにし、物語の序盤から結末を知らないと理解できない台詞を並べ、まるで観賞者を迷路に投げ込むかのような意地の悪いプロットの組み方はうまい。ヒューマン・ドラマを謳いながらも、極端なところ、SF要素を持ってきても、ミステリー要素を持ってきても、結論次第では上手くまとまりそうな展開に翻弄されてしまった。

      本作で「ベン」と関わりを持つ人間は複数登場するが、とりわけ「エミリー」とのエピソードが前面で描かれる。犬の散歩から帰った彼女は、自宅の玄関先で突然倒れこんでしまう。心臓疾患を抱えている「エミリー」は明るくポジティブな性格だが、悲しくも自身の生く末を悟り、何もかもを諦めてしまったかのように眼が虚ろであった。「ベン」との出会いがそれを変えていく。「エズラ」や「ホリー」、「ジョージ」も同様で、なぜか「ベン」は彼らの悲しみを一身に背負っていく。「ベン」と唯一彼の奇行の全貌を知っている「ダン」、そして「ベン」から施しを受ける人々との反比例な感情の変化が切ない。映像にあっても、例えば海辺の美しい住宅が映るシーンでも喜びと悲しみ、どちらともとれるような色彩があって、正負感情の二面性が表れているように思えた。

      そうした魅力を認めておきながらも、冒頭で『期待はやや打ち砕かれた』と述べた理由は、物語の結論にある。それは本作の結末に対して、賛否両論が巻き起こっていることをみれば明らかで、「ベン」の行動の全貌を知って、プロローグからの一連の出来事の説得が途端に揺らいでしまうからだ。ずばり、観賞者個々の信念や倫理観によっては作品の価値が大きく二分され兼ねない危うさがある。こうした性質を持つ作品には、絶対的な答えがあるわけではなく、観賞者の数だけ解釈があって然るべきだと思ってはいるものの、描法の選択が正しかったのかどうかが疑問だ。"衝撃の結末"には鎧袖一触の絶対的な説得があって欲しく、また、繊細なテーマを扱う上では物語は慎重に語られて欲しいというのが個人的な願いである。

      ともあれ、ムッチーノが語る『当たり前のものとして考えてしまう人生の儚さ、大切さ』は、素直に心に染み入った気がする。「ベン」の行動に対して否定も肯定もしない。それは彼なりの選択であったからで、例えば自分であれば…。作品は、「神は7日間で世界を創造した。僕は7秒間で人生を叩き壊した」というベンの語りで始まる。人生の貴重さを再認識させてくれた作品として、一見の価値は認めておきたい。

    ● 製作代表 : Columbia Pictures
    ● 日本配給 : Sony Pictures Entertainment
    ● 世界公開 : 2008年12月19日 - アメリカ
    ● 日本公開 : 2009年02月21日
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    by movis | 2009-04-26 04:37 | ドラマ
    チェンジリング / Changeling
    ● チェンジリング / Changeling [アメリカ / 2008年 / PG-12]

    b0055200_1111466.jpg名匠クリント・イーストウッドが描く、想像を絶する驚愕の事実。彼の生み出す作品に帯びる崇高な風格は本作にも健在。イーストウッドらしさと意外性を感じえる個性的な作品でもある。アンジェリーナ・ジョリーの非凡が存分に発揮された。見応え充分、観て損は有り得ず!



    監督は、「ミリオンダラー・ベイビー」「グラン・トリノ」のクリント・イーストウッド。「クリスティン・コリンズ」役には、"トゥームレイダー"シリーズのアンジェリーナ・ジョリー。「グスタヴ・ブリーグレブ」役には、「ザ・シークレットサービス」「マルコヴィッチの穴」のジョン・マルコヴィッチ。「J・J・ジョーンズ」役には、ジェフリー・ドノヴァン。「ジェームズ・E・デイヴィス」役には、コルム・フィオール。「ゴードン・ノースコット」役には、ジェイソン・バトラー・ハーナー。「キャロル・デクスター」役には、「ゴーン・ベイビー・ゴーン」のエミリー・ライアン。「レスター・ヤバラ」役には、マイケル・ケリー。「ウォルター・コリンズ」役には、ガトリン・グリフィス。「サンフォード・クラーク」役には、エディ・オルダーソン。

    "To find her son, she did what no one else dared."
    1928年、アメリカ、ロサンゼルス。電話通信会社に勤める「クリスティン・コリンズ」は、女手ひとつで一人息子「ウォルター」を育て、2人で細々と生活を営んでいた。3月10日、「ウォルター」と映画を観にいくはずだった「クリスティン」の休日。人手が足りないから出勤してほしい、という会社からのオンコールを「クリスティン」は断ることができず、ふて腐れる「ウォルター」をなだめて職場へと向かった。終業後、「クリスティン」は帰路を急いだが、自宅にいるはずの「ウォルター」の姿がない。躾には厳しいつもりだった。日が暮れても「ウォルター」が帰ってこないことに、不安が募り、「クリスティン」はロス市警に捜索願いを請う。しかし、牧師の「ブリーグレブ」がロス市警の腐敗撲滅キャンペーンを実施するように、警察組織の怠慢や跋扈した汚職に、市民は不信を極めた。仕事を続けながら関係各局を駆け巡り、邪険に扱われながらもロス市警に喰らい付く日々を送る「クリスティン」に、5ヵ月後、朗報が届く。ロス市警青少年課の「ジョーンズ」から「ウォルター」をイリノイ州で発見、無事保護した、との連絡が入ったのであった…。


      本作のタイトルである"changeling"とは、"取り替え子"の意味がある英名詞。「ウォルター」少年の失踪、「クリスティン」とロス市警の対峙と核心を握るウィネヴィラ養鶏場事件は実際の出来事であり、これをモチーフに「ミリオンダラー・ベイビー」のクリント・イーストウッドが映画化した。第81回のアカデミー賞では、主演女優賞、撮影賞、美術賞でノミネートを受けた。

      端麗な顔立ちとスタイルで数々の作品に華を添えてきたアンジェリーナ・ジョリーが、艶やかなアプローチを潜めた、技巧的な演技を魅せる。監督のクリント・イーストウッドは、彼女の魅力を「若草物語」などの代表作を持つキャサリン・ヘップバーンらに例え、個性的で存在感がある点に言及しているが、なるほど、彼女の至近の出演作の中では、その非凡な表現力が最もわかりやすい作品であった。突然、最愛の息子が失踪してしまった「クリスティン」の落胆とヒステリック、頼みの綱であるはずの警察組織の怠慢に立ち向かっていく「クリスティン」の勇猛果敢さ。アンジェリーナ・ジョリーは「クリスティン・コリンズ」その人かと思うほど、繊細な心理心情を表現している。「17歳のカルテ」以降、遠のいていたアカデミー賞のカーペットを踏んだ彼女であるが、本作の「クリスティン・コリンズ」を観れば、主演女優賞のノミネートは納得であった。

      カタルシスを見出し難い暗鬱な作品だ。観賞を終え、件の詳細を調べてみてもにわかには信じがたい事実だ。「クリスティン・コリンズ」を襲った息子の失踪という不幸を発端に、次々と絶望が噴出する。強烈な悲劇を突きつけられるから作品にリアリティがあるかないかを言及する気もおきないのであるが、登場人物の緻密な、言葉を換えれば、地に脚ついたコミュニケーションが骨太に描かれているために、脚色を控え、事実をありのままに伝えんとする製作陣の情熱をひしひしと感じることができる。

      ところで、本作には、イーストウッドの"らしさ"と"らしくなさ"を感じ得る、不思議な雰囲気が漂っている。まずは、"らしさ"と感じた部分についてであるが、やはり隙がなく緻密で懇切丁寧な作品の仕上がりと、それに伴い崇高な品格と風格が備わっている点である。彼は監督、俳優業に留まらず、音楽に関しても才が長けていることは有名だが、決して音で作品を誤魔化さない。自動車や衣装、作品の色調にいたるまで拘りが垣間見え、決して作品の世界観を崩さない。先に記述したような、人間のコミュニケーションが活き活きと描かれ、決して超人は描かない。作品の最もわかりやすい部分を見ても、彼の業が他を凌駕する領域に達していることは明らかだ。

      一方で"らしくなさ"と感じた部分についてであるが、90年代以降の作品では顕著な、映像を追っただけでもある程度の結論は分かるが、作品のより深みに脚を踏み入れると様々な深慮のトリガーが潜んでいる、二度三度おいしい、という性格が本作では控えめだった点である。ロン・ハワードからメガホンを受け取った、という製作秘話に根拠があるのかもしれないし、彼は少し日常から離れた世界を描くヒューマン・ドラマの名匠だという先入観がそう思わせるのかもしれないが、淡々と悲壮や絶望を煽り続けられたところに戸惑いを禁じえなかった。とはいえ、母親 = 「クリスティン・コリンズ」の気丈さや勇敢さは悲劇や理屈を超えて、美しく描かれている。最凶の事実を描きながらも、品位を添えてくる辺りは、やはり彼の"らしさ"なのかもしれないけれど。

      実話に基づいた作品、かつ、それがトラジックなものであればあるほど、無邪気に観賞を勧め難いのであるが、イーストウッドの作品に帯びるロイヤルな優雅、威厳は本作にも健在。ドラマ作品としても、ヒストリー作品としても見応え充分な珠玉の一作だ。

    ● 製作代表 : Imagine Entertainment
    ● 日本配給 : 東宝東和
    ● 世界公開 : 2008年05月20日 - フランス(第61回カンヌ国際映画祭)
    ● 日本公開 : 2009年02月20日
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    by movis | 2009-04-02 01:16 | ドラマ
    ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービー / High School Musical 3: Senior Year
    ● ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービー /
        High School Musical 3: Senior Year [アメリカ / 2008年]

    b0055200_0315349.jpg我が道をゆく、どストレートなウォルト・ディズニー社らしい青春ミュージカル作品。メランコリーは一切なく、パワー・プレイで押し切られてしまうが気分の高揚は隠せない。上映期間が重なったあのミュージカル大作よりも爽快だったというのが正直な胸の内。



    監督は、"ハイスクール・ミュージカル"シリーズのケニー・オルテガ。「トロイ・ボルトン」役には、「ヘアスプレー」のザック・エフロン。「ガブリエラ・モンテス」役には、「サンダーバード」のヴァネッサ・ハジェンズ。「シャーペイ・エヴァンス」役には、アシュレイ・ティスディル。「ライアン・エヴァンス」役には、ルーカス・グラビール。「チャド・ダンフォース」役には、コービン・ブルー。「テイラー・マッカーシー」役には、モニーク・コールマン。「ケルシー・ニールセン」役には、オリシア・ルーリン。

    "high school graduation"
    イースト高校の最上級生であり、同校のバスケットボール・チーム"ワイルド・キャッツ"を率いる「トロイ」と「チャド」は、高校生活最後のゲームに臨んだ。しかし、強豪を相手に前半戦はリードを許してしまう。物語はここから始まった。最後の16分間を目前に、彼らは悔いのないプレーを誓い、奇跡のような逆転劇で見事に勝利したのであった。達成感と勝利の余韻に浸る間もなく、イースト高校の最上級生たちには"卒業"の2文字が迫る。「トロイ」はバスケットボールの腕を買われ、アルバカーキ大学への内定が決まっていたが、彼の最愛の恋人「ガブリエラ」の志は、凡そ1,600キロも離れたスタンフォード大学にあった。バスケットボールを続けるか、演劇の道を歩むか、恋人「ガブリエラ」の傍に居るか、「トロイ」の心は定まらなかった…。


      "ハイスクール・ミュージカル"は、アメリカのウォルト・ディズニー社が運営する「ディズニー・チャンネル」というケーブルテレビ・チャンネルにて、オリジナル・ムービーとして放送されたミュージカル作品シリーズである。2006年に「ハイスクール・ミュージカル」、2007年に「ハイスクール・ミュージカル2」が放送され、本作はその続編として劇場公開されるに至った。物語は「ハイスクール・ミュージカル2」のエピローグ、「トロイ」や「チャド」が"ワイルド・キャッツ"所属での高校最後の試合に臨み、前半をリードされて、後半に向けて闘志を燃やすというシーンから始まる。

      「トロイ」を演じるザック・エフロンや、「ガブリエラ」を演じるヴァネッサ・ハジェンズをはじめとした出演陣の顔ぶれは、恥ずかしながら大半が初見であったが、端麗な容姿は基よりも、ダイナミックでキレのあるダンスや、透き通って力のある歌唱力に魅了されるに時間は必要なかった。もともと、ミュージカルというジャンルはあまり得手ではないのであるが、楽曲のグルーブが心地よく、青春ものを描くには長尺と思われる113分という上映時間も疾風の如く駆け去ってしまった。シリーズ作品を観ていなくても、世界観にすんなりと浸ることができるシンプルな演出に終始している点も好印象である。

      "青春"というテーマを直走り、ルックスに、勉学に、スポーツに、芸術に非凡なキャラクターたちの生活は嫉妬しか覚えないくらい充実しているし、メランコリックな描写は一切ないと言っていい。何事にもオールマイティな彼らにも唯一上手くいかない恋愛をセンチメンタルに描きながら、魅せ場にむけてしっかりと観る者の高揚を煽ってくる辺りは、さすがはウォルト・ディズニー作品であるといえよう。エンターテイメントとしての作品の質は、文句のつけようもない。ミュージカル映画というジャンルをみれば、フィリダ・ロイドの「マンマ・ミーア!」と上映期間が重なった。メリル・ストリープやピアース・ブロスナンといった豪華出演陣、「ABBA」の楽曲の完全タイアップなど、話題は完全にさらわれた形となったが、個人的には本作のほうが爽やかなカタルシスを与えてくれたように思う。素直すぎるが隙のないミュージカル作品。レゾンデトールはそれだけで十分だ。

      2月の上旬、都内某所のシネマには外国人の子供たちが所狭しと腰掛けていた。彼らはタイトルロールが始まるや否や、揃いも揃って拍手をしたのである。マズい作品を選択してしまったか、と恥ずかしささえ覚えたが、スタッフロールで再度鳴った拍手には思わず納得してしまった。彼らの眼には、「トロイ」や「ガブリエラ」はどれほどかっこいいおにいちゃん、おねえちゃんと映るのだろうか。10代の若き力が心底羨ましいと思ったものの、不思議と活力がみなぎってくる純心無垢な作品であった。スッキリ。

    ● 関連作品 ※レビュー対象外
    ハイスクール・ミュージカル [TVCS/2006年]
     → シリーズ第1作、TVムービーとして放送
    ハイスクール・ミュージカル2 [TVCS/2007年]
     → シリーズ第2作、TVムービーとして放送

    ● 製作代表 : Borden and Rosenbush Entertainment
    ● 日本配給 : Walt Disney Studios Motion Pictures
    ● 世界公開 : 2008年09月28日 - スウェーデン(ストックホルム/プレミア)
    ● 日本公開 : 2009年02月07日

    (2009/06/21: 関連作品情報更新)
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    by movis | 2009-03-02 00:37 | ドラマ
    誰も守ってくれない / Nobody to watch over me
    ● 誰も守ってくれない / Nobody to watch over me [日本 / 2008年]

    b0055200_2161899.jpg演技派俳優が名を連ね、非常に精巧なドラマであった。容疑者家族の存在に焦点を当て、メディアや社会システムの現実に一石を投じ、社会派作品としては重要な存在意義がある作品だと思う。しかし、本作のメッセージが万人に届くかどうかを考えると…。



    監督は、"踊る大捜査線"シリーズの君塚良一。「勝浦卓美」役には、佐藤浩市。「船村沙織」役には、志田未来。「三島省吾」役には、松田龍平。「本庄圭介」役には、柳葉敏郎。「本庄久美子」役には、石田ゆり子。「梅本孝治」役には、佐々木蔵之介。「佐山惇」役には、東貴博。「尾上令子」役には、木村佳乃。「坂本一郎」役には、佐野史郎。「稲垣浩一」役には、津田寛治。「園部達郎」役には、冨浦智嗣。

    "殺人犯の妹となった少女と彼女を守る刑事の逃避行が始まる──"
    晴れた中学校の校庭では体育の授業が行われ、生徒たちの眩しい笑顔が零れている。その輪の中に「船村沙織」の姿があった。しかし、その頃、彼女の自宅に警察官が押し入った。「沙織」の未成年の兄が、小学生姉妹殺人事件の容疑者として逮捕されたのだ。東豊島署の刑事「勝浦卓美」と「三島省吾」は、同署暴力犯係係長の「坂本一郎」に呼び戻される。命ぜられた任務は、容疑者家族の保護であった。彼らを何から守るのか。「勝浦」と「三島」は、船村家を取り囲む野次馬やマスコミを目の当たりにして、自ら答えを見出した。決して、公にされることのなかった任務。1月24日の長い夜は、彼らの苦悩の幕開けにすぎなかった…。


      "踊る大捜査線"シリーズで有名な監督の君塚良一と製作の亀山千広が贈る、殺人容疑者家族の少女と彼女の保護を担当する刑事の逃避行を描いたシリアス・ドラマ。君塚はプレスリリースの中で、"踊る大捜査線"シリーズ製作時に重ねた取材の中に本作のモチーフがあると語っている。ここで興味深いのは、善と悪が明確な"踊る大捜査線"シリーズとは異なって、本作は只ひたすらに深慮を煽ってくる憂鬱な物語である点だ。彼は、当初はこれほど鋭く社会を描くつもりはなかった、と語りながらも、今後エンターテイメントとしての警察ドラマを描くためには、社会の現実と向き合う必要があった、と意気込んでいる。君塚にしては珍しい、シリアスの真ん中を行く作品であるから、本作が今後の彼の活動にどのような影響を与えていくのかが楽しみだ。

      "踊る大捜査線"シリーズ製作時の取材の中から拾い上げたモチーフ。それは、警察が容疑者の家族を保護する仕事がある、というエピソードであった。物語は刑事である「勝浦」と殺人容疑者家族である「沙織」がドラマを織り成すまでは、ハンディ・カメラでの撮影が功を奏してか、ドキュメンタリーのごとく淡々と映像が過ぎ去っていく。例えば、マスコミの現地レポーターの奥に見えている殺人容疑者の自宅の中で、残された家族を相手に、警察やその他関係者が粛々と"仕事"を進めていくシーンなどは圧巻であった。原田眞人の「クライマーズ・ハイ」が良い例だが、こうした日本人の役人根性や無関心さがもっと邦画で描かれてほしい。人間のクールな気質や無表情は洋画ではなかなか観ることはできないし、ある種、日本人に独特であると思うからだ。本作の「勝浦」と、かろうじて「三島」に、彼らの周囲よりも強く人間味を感じるように、感情の寒暖を描く土台の上に乗ったドラマは浸透力が違う。私はこの手の作品には弱い。
     
      社会の現実を描くため、容疑者家族に焦点を当てるという独創的なアプローチを採る中にあって、警察が彼らを保護する理由に、彼らの自殺を防ぐ目的があることが語られる。犯罪容疑者の家族はあらゆるレッテルを張られ、社会からの冷ややかな、時には好奇の視線が身を突き刺す。保護を担当する刑事もまた罵倒や批判の対象となる。犯罪容疑者を取り巻く人々の生き難さは映像を通して、ありありと伝わってきた。さらに、容疑者家族においても、思春期の真っ只中を生き、感受性が鋭い13歳の女の子「沙織」を核に描いたことで、彼らが置かれている立場の苦々しさ、痛々しさが一層惹き立てられている。

      さて、君塚はプレスリリースにおいて"解釈は観た人に委ねる"との意図を強調しているが、本作のテーマも然ることながら、ドラマの主張の向かう先が極めて限定的であることが気に掛かる。それは、例えば「船村家」と同じ境遇に置かれた人たちが希望を見出そうとして観賞するかもしれないし、普段はメディアで語られることの少ない容疑者家族というテーマに興味を持った人たちが、好奇心や社会勉強を兼ねて観賞するかもしれないが、同様の事件で被害者という立場に立たされた人たちは本作をどう捉えるか、である。その点を配慮してか、本作には「本庄圭介」と「本庄久美子」という登場人物に被害者家族の心境を代弁させている。しかし、彼らはあまりに人が出来すぎていた。仮に私が大切にしている人間の命が他者によって奪われた、とするならば、おそらく「沙織」、そして「本庄」夫婦の言動にすら憤りや嫉妬といったあらゆる負の感情が沸き上がってきてしまいそうだ。例え、彼らは双方が"被害者"だという理論に一理あると思っていても、である。
      
      実社会においては、毎日のように殺人や暴行、死や傷といった漢字が様々なメディアを巡る。私は、そうした報道を受けて、被害者の傷ましさが心痛となることはあっても、容疑者や被告人が残した家族に対して何か特別な想いを抱くことはない。したがって、容疑者家族の存在を明らかにし、メディアや社会システムの現実に一石を投じたという意味では、社会派作品として重要な存在意義があるように思う。自分が容疑者家族の立場だったら、被害者家族の立場だったら、という深慮のトリガーとなって、観る人の感情を揺さぶることもまた、作品の意義として重要である。しかしながら、やはり被害者家族の立場を思うと、どうしても本作の観賞を万人に勧められないのである。

    ● 関連作品 ※レビュー対象外
    誰も守れない [TV/2009年]
     → タイアップ作品、TVムービーとして放送

    ● 製作代表 : FILM
    ● 日本配給 : 東宝
    ● 世界公開 : 2009年01月24日 - 日本
    ● 日本公開 : 2009年01月24日
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    by movis | 2009-02-03 21:12 | ドラマ
    ミリオンダラー・ベイビー / Million Dollar Baby
    ● ミリオンダラー・ベイビー / Million Dollar Baby [アメリカ / 2004年 / PG-12]

    b0055200_0124693.jpg美しい語り口と哀歓の描き方。クリント・イーストウッドの持ち味が十二分に発揮された、濃厚なヒューマン・ドラマ。アカデミー賞4部門にて最優秀賞に選ばれたものの、賛否両論を生む理由がある。万人には勧めにくいものの、重要な議題を与えてくれる一作であった。



    監督と「フランキー・ダン」役には、「ルーキー」「ミスティック・リバー」のクリント・イーストウッド。「マギー・フィッツジェラルド」役には、「ボーイズ・ドント・クライ」のヒラリー・スワンク。「エディ・"スクラップ・アイアン"・デュプリス」役には、「ショーシャンクの空に」のモーガン・フリーマン。「デンジャー・バーチ」役には、「あの頃ペニー・レインと」のジェイ・バルチェル。「ショーレル・ベリー」役には、「セレブの種」のアンソニー・マッキー。「ビッグ・ウィリー」役には、マイク・コルター。

    "Beyond his silence, there is a past. Beyond her dreams, there is a feeling.
     Beyond hope, there is a memory. Beyond their journey, there is a love. "
    「フランキー・ダン」は、ロサンゼルスにある古びた小さなボクシング・ジムを経営している。かつては優秀なカットマン(止血係)であった彼の指導方針は、ビッグ・タイトル獲得を焦らず、慎重かつ保守的であるため、才能に溢れる若きボクサーは皆、彼の元を去ってしまう。実娘「ケイティ」とも連絡が付かず、「フランキー」は孤独な日々を送った。31歳の女性「マギー」がこのジムに押しかけてきたのは、「フランキー」が手塩にかけて育てた「ビッグ・ウィリー」が彼に別れを告げた頃だった。不遇の人生を歩んできた「マギー」は、自身のボクシングの才能に望みを託している。そんな彼女に「フランキー」は見向きもせず、女性ボクサーは取らない、という台詞を繰り返すばかりだ。「マギー」はそれでも折れず、毎日のようにジムへと脚を運ぶ。そんな彼女の姿を見守っていた「フランキー」の親友であり、ジムの雑用係である元ボクサー「エディ」は、「マギー」の将来性を感じ、「フランキー」を説得にかかるのであった…。


      2003年の「ミスティック・リバー」と同様、監督と音楽を兼務し、「フランキー・ダン」役にて主演にも挑んだクリント・イーストウッドの意欲作。2004年に開催された第77回アカデミー賞では7部門のノミネートを受けた。不遇にも、この授賞式では11部門のノミネートを受けたマーティン・スコセッシの「アビエイター」と角を突き合わせる格好となったが、作品賞、主演女優賞、助演男優賞、監督賞と主要4部門でオスカー像を勝ち取った。意外にも、助演男優賞ノミネートでは常連のモーガン・フリーマンは、この作品で初めて最優秀賞を獲得している。

      感情表現や人間関係に滅法不器用な「フランキー」は、人を思い遣る深い心があるにも関わらず、それが上手く相手に伝わらない。どれだけ大切にボクサーを育てても、皆、彼の真意を量りかね、我慢を強いられていると思い込み、去っていってしまう。それは実の娘の「ケイティ」も同じだ。「マギー」を巡る人生は不遇の極みであった。貧しい家庭に育ち、自分を唯一可愛がってくれた父親の死後は、強欲非道な母親や兄弟に囲まれて育った。彼女はそんな家族に対しても愛情を抱え、幼少からウェイトレスで生計を立て、自分の存在意義をボクシングに見出してきた。私は、哀歓を語らせれば、クリント・イーストウッドの右に並ぶ監督はそういないと思っているが、本作では「フランキー」と「マギー」の少し性格の異なる"孤独"が、互いの出会いを以って、光を差し込んでいく語り口が最高に美しいと思った。

      慎重で保守的な「フランキー」と、ハングリーで好戦的な「マギー」という対極の人間が"孤独"という唯一の共通点によって理解を深め、相手を尊重していく。互いの頑固な信念がぶつかりあっている内はヒヤヒヤとするが、それを上手く噛み合わせていくのが「エディ」だ。もちつもたれつ3人の人間が絡み合いながら、ある意味では「マギー」が強引に「フランキー」と「エディ」を牽引しながら、物語は輝かしい予感を振り撒き、また微笑ましく展開していく。もうこのまま光を観て作品がエピローグを向かえてもいい。そう思えるほど、寡黙でありながら、彼らの人格や彼らの抱える"孤独"がありありと映像に表れているのだ。

      しかしながら、伝統ある栄誉を与えられ、こうした非常に精巧なヒューマン・ドラマを讃えていながらも、本作には賛否両論が尽きない。その理由は、作品の核心に触るものであるために言及を避けるが、倫理学上では注意深く語られるべきであるテーマを、あまりに唐突かつ大胆に表現してしまっているからだ。それなりに予兆はあるものの、絶望が一気に噴出する。ある者が口にすること、ある者がとった行動、例えば自分が「フランキー」だったら、「エディ」だったら、「マギー」だったら、思わず深慮に耽ってしまうような憂鬱がある。私は、誰の考えも、誰の行動も、何が間違っていて何が正しいかを語ることができない。それは、自分の人生の中で、彼らのいづれの立場にも置かれたことがないためだろうか。きっと、あの"レモンパイ"の味は、当人にしか分からない。

      観る者の経験、生き方によって、本作が語るメッセージの解釈や心象は異なるかもしれず、敢えて万人に勧めることのできる作品ではないと言っておきたい。とはいえ、手抜きのない、丁寧で繊細なヒューマン・ドラマを体感でき、クリント・イーストウッドの持ち味が十二分に発揮されているといえよう。語り口も美しい。自身が本作に登場するいづれかの立場に置かれたとき、何を考え、どう行動するだろうか。心に重いが、重要な議題を与えてくれる作品だ。

    ● 製作代表 : Warner Bros. Pictures
    ● 日本配給 : MOVIE-EYE/松竹
    ● 世界公開 : 2004年12月15日 - アメリカ
    ● 日本公開 : 2005年05月28日
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    by movis | 2009-01-27 00:21 | ドラマ
    ラスベガスをぶっつぶせ / 21
    ● ラスベガスをぶっつぶせ / 21 [アメリカ / 2008年]

    b0055200_15322411.jpg原作はジェフ・マーという実在の人物の体験がモチーフになっている『ラス・ヴェガスをブッつぶせ!』。MITの学生が"ブラックジャック"で勝ちまくるという夢のような物語。軽快でスタイリッシュでミスディレクションもあり。娯楽作品としては、なかなかの満足感だった。



    監督は、「キューティ・ブロンド」のロバート・ルケティック。「ベン・キャンベル」役には、「ブーリン家の姉妹」のジム・スタージェス。「ジル・テイラー」役には、「ビヨンド the シー ~夢見るように歌えば~」のケイト・ボスワース。「ミッキー・ローザ」役には、「アメリカン・ビューティー」のケヴィン・スペイシー。「コール・ウィリアムス」役には、"マトリックス"シリーズのローレンス・フィッシュバーン。「チョイ」役には、「ディスタービア」のアーロン・ヨー。「キアナ」役には、「ドミノ」のライザ・ラピラ。「ジミー・フィッシャー」役には、ジェイコブ・ピッツ。

    "Inspired by the true story of five students who changed the game forever."
    「ベン」は内向的で人付き合いも苦手だが、SAT1,590点、MCAT44点、GPAスコア4.00を取得し、MIT(マサチューセッツ工科大学)卒業後は名門ハーバート大学医学部への入学が決まっている優秀な大学生だ。しかし、母子家庭に育った彼には、30万ドルという入学金が大きな障壁となっていたのだった。アルバイトの給料では到底及ばず、彼は"ロビンソン・スカラシップ"獲得を目指す。面接官に与えられた課題に「ベン」は頭を悩ませる。それは、他人にはない独自の、特別な経験談をアピールすることだった。図書館で勉強に励む「ベン」は、突然「フィッシャー」という生徒から声をかけられ、薄暗い教室を訪ねる。そこにいたのは「ベン」が履修している数学クラスの教授「ミッキー」、憧れの女学生「ジル」、そして「チョイ」、「キアナ」。彼らの眼前に並ぶカード。「ベン」は、ブラックジャック必勝法(カード・カウンティング)の研究に招かれたのだった…。


      いくら優秀な生徒が集うMITの学生だからと言って、こんな夢物語が現実にあるわけがないと思いがちだが、驚くべきことにベン・メズリックによる原作『ラス・ヴェガスをブッつぶせ!』は、1990年代、MIT"ブラックジャック・チーム"に所属していたジェフ・マーという実在の人物の体験を基に執筆された作品だ。本作では「ベン・キャンベル」のモデルとなった彼だが、"プラネット・ハリウッド・リゾート・アンド・カジノ"のディーラー「ジェフリー」役として、カメオ出演を果たしている。原題の"21"とは、ブラックジャックというカードゲームの最強の手のこと。ディーラーとプレイヤーは"21(ブラックジャック)"を超えない範囲の高得点を競い合う。配られた2枚のカードのポイントを"21"に近づけるため、"ヒット"(1枚カードを引く)と"スタンド"(カードを引かず、そのポイントで勝負する)を繰り返す。

      ジェフ・マーとMIT"ブラックジャック・チーム"のエピソードは、原作に限らず、これまでもさまざまなメディアで取り上げられてきた。事実を紹介するだけであれば、必ずしも彼らの成功の要因や背景の詳細にまで言及する必要はなく、サマリーを述べておけば良いので造作はないだろう。ところが、この手のエピソードの映画化が難しいのは、限りのある上映時間という枠の中で、物語の前提をある程度理解している観賞者の期待と、そうでない観賞者の期待とを相手にしなければならない点である。つまりは、本作においては物語のキーワードとなってくる"カード・カウンティング"というテクニックをどこまで観賞者に粗なく説得できるかが重要となる。この観点から作品を評価すれば、物語をスタイリッシュかつクールに魅せておきながら、ロジックの整合性を蔑ろにしていることもないので、娯楽作品としては高ポイントを得ても不思議はない。若干、理屈っぽい印象も否めないが、そこは愛嬌と思えるほどにプロットは推敲されていたように思う。こうした土台の上に、物語の見所は乗っている。

      ひとつは、内向的で生真面目でサブカルチャーに興じる「ベン」が、"ブラックジャック・チーム"に所属したことで何を得て失って、どう変わっていくのか、ドラマとしての側面である。そもそもチームへの入会動機は、学費のため、憧れの女学生「ジル」がいるため、であった。どうやら、本当に"カード・カウンティング"はいい稼ぎになりそうだし、話かけることすら出来なかった「ジル」とも言葉を交わせるようになってきた。次第に「ベン」が変貌していく様子は、独特のスピード感があって爽快であるが、ジム・スタージェスにも「ベン」にも"ダサさ"がないために、メリハリには欠けたか。序盤で描かれる「ベン」の温かみが、終盤に向けて影を潜めてしまう点も残念。

      次に、「ミッキー」を筆頭とした"ブラックジャック・チーム"の面々と、カジノの保安要員「コール」の対峙、そこに潜んだ黒い影の正体とは何か、サスペンスとしての側面である。一度に多額は勝ち取らない、慎重なプレーを続ける"ブラックジャック・チーム"に、なぜベテラン保安要員「コール」は疑念を抱くのか。"カード・カウンティング"を知る「コール」がなぜプレイヤー側に回らないのか。監視システムが強化され、役目を追われつつある「コール」のプライドとは何か。作品に意外性がある、という言い方をすればキーパーソンは彼だ。「ベン」の存在を喰わんばかりのエピローグは大いに一見の価値ありだ。

      モチーフが実在の人物にあるとはいえ、その真偽が判断つかぬほど破天荒なストーリーを備えた本作であるが、軽快なテンポと鮮やかなカメラワークが手伝って、気軽に観賞する上ではなかなかの満足感を与えてくれる作品であった。多額の紙幣が飛び交うが、心底羨ましくはない。ギャンブルはほどほどに。

    ● 製作代表 : Columbia Pictures
    ● 日本配給 : Sony Pictures Entertainment
    ● 世界公開 : 2008年03月07日 - アメリカ(South by Southwest Film Festival 2008)
    ● 日本公開 : 2008年05月31日
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    by movis | 2009-01-17 15:38 | ドラマ
    地球が静止する日 / The Day the Earth Stood Still
    ● 地球が静止する日 / The Day the Earth Stood Still [アメリカ / 2008年]

    b0055200_23523975.jpgロバート・ワイズの「地球の静止する日」をスコット・デリクソンがリメイクした。カタストロフィが控えめに描かれた、メッセージ性が強いだけに、派手なSF作品を期待すると凶か。しかし、語り口は美しい。無口で無情の「クラトゥ」役に、キアヌ・リーブスはハマり役だ。



    監督は、「エミリー・ローズ」のスコット・デリクソン。「クラトゥ」役には、"マトリックス"シリーズのキアヌ・リーヴス。「ヘレン・ベンソン」役には、「ビューティフル・マインド」のジェニファー・コネリー。「ジェイコブ・ベンソン」役には、ウィル・スミスを父親に持つジェイデン・スミス。「レジーナ・ジャクソン」役には、「ミザリー」のキャシー・ベイツ。

    "12.12.08 is the Day the Earth Stood Still"
    1928年、インドはカラコルム山脈。轟々とブリザードが吹き荒ぶ山間でビバークを試みようとしていた登山家は、白く濁った視界の中にキラキラと煌く大きなスフィアを発見する。登山家は不思議なスフィアの光の渦に見とれ、いつの間にか意識を失う。吹雪に目覚めた頃にはスフィアは姿を消し、かわりに彼は手の甲に円状の傷を負っていたのだった。時は現在、プリンストン大学で生物学の教鞭を振るう「ヘレン・ベンソン」は、亡き夫の連れ子「ジェイコブ」と2人で細々と生活していた。夕食の準備で慌しい「ヘレン」は、突如、アメリカ政府から協力要請を受け、半ば強引に自宅から連れ出されてしまう。召喚の理由が明かされず、苛立ちをつのらせる「ヘレン」であったが、彼女以外にも各研究分野の権威が集められていることを知り…。


      本作は、「エミリー・ローズ」のスコット・デリクソンが、1951年にロバート・ワイズが監督を務めた「地球の静止する日」をリメイクした作品。原作ではマイケル・レニーが演じた「クラトゥ」役には、"マトリックス"シリーズのキアヌ・リーブスが挑む。

      "地球の危機"と"侵略"という、SF作品においては使いまわされてきたテーマであるにも関わらず、カタストロフィや殺戮といった描写は少なめに、メッセージ性を強調した作品であった。キリスト教に対しての理解があると、より本作の主張が明快になるようだが、そうでなくとも『人類が滅べば地球が救われる』というストーリーには焦燥感を禁じえない。自然主義的要素は本作で新たに盛り込まれたようだが、映画という娯楽にも、環境に関する警鐘を訴えなければならない時代になったということだろうか。
     
      自然主義をテーマにして問題提起と議論を物語の中に見せておきながら、結論は観賞者に委ねるというスタイルを採っている。そして核心を掴むキーワードは、2008年に内際で謳われ、本作でも台詞に多用されているあの単語だ。物語それ自体は至極シンプルであるので、一体何を問題と提起されていて、キーワードがどういった意味を持っているのかは分かりやすい。一方で、議論が表層に留まっている感が禁じえない。錯雑としたテーマであるだけに、議論に深みが欲しかったというのが正直な胸の内だ。

      しかし、語り口は美しい。万人が一丸となって挑んでいかなければならない問題を掲げ、「ヘレン」や「ジェイコブ」の人間味のあるエピソードを見せて、希望を微視的視点まで落とし込む。人類の傲慢が地球を追い詰めてきたのは明らかなのだが、人間一人ひとりには小さくも生命の力強さがあって、小さくも温かな希望がある。本作の希望の語り方には透明感があって、心が温かくなるような想いにとらわれた。

      表情の変化に乏しい「クラトゥ」役には、ポーカーフェイスがよく似合うキアヌ・リーブスがピタリとハマっている。ジェニファー・コネリーやジェイデン・スミスも無難に役を演じ切っているから、安心して観賞できる作品だ。派手なSF作品を期待すると暗然としてしまう可能性も否めないが、さりげない映像の細部にまでメッセージの断片を込めている点を見れば、二度、三度と観賞を重ねても新たな発見を予期させる。万人に受け入れられるとは思わないが、無機質な物語の中に温かさのある不思議な作品であった。
     
    ● 製作代表 : 3 Arts Entertainment
    ● 日本配給 : 20th Century Fox
    ● 世界公開 : 2008年12月10日
         - バーレーン/ベルギー/フランス/ノルウェー/フィリピン/スイス/タイ
    ● 日本公開 : 2008年12月18日
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    by movis | 2009-01-01 22:44 | ドラマ
    P.S. アイラブユー / P.S. I Love You
    ● P.S. アイラブユー / P.S. I Love You [アメリカ / 2007年]

    b0055200_1295456.jpg嫌味なく切ない人間模様を織り成している点が好印象。ヒューマン・ドラマの色が強く、ロマンスは期待しすぎないほうがよい。ヒラリー・スワンク、ジェラルド・バトラーの仕事っぷりがいい。控えめではあるが強い存在感のある"追伸"のような性格があって、私的に秀作だ。



    監督は、「フィッシャー・キング」や「マディソン郡の橋」の脚本で有名なリチャード・ラグラヴェネーズ。原作は、セシリア・アハーンの『P.S. アイラブユー』。「ホリー」役には、「インソムニア」「ミリオンダラー・ベイビー」のヒラリー・スワンク。「ジェリー」役には、「オペラ座の怪人」「幸せの1ページ」のジェラルド・バトラー。「デニース」役には、海外ドラマ"フレンズ"シリーズのリサ・クドロー。「シャロン」役には、「バウンド」のジーナ・ガーション。「パトリシア」役には、「ミザリー」のキャシー・ベイツ。「ダニエル」役には、「メンフィス・ベル」のハリー・コニック・Jr.。「ウィリアム」役には、ジェフリー・ディーン・モーガン。

    "Sometimes there's only one thing left to say."
    大柄で豪快な「ジェリー」と繊細で実直な「ホリー」のケネディ夫妻は、マンハッタンの住まいでよくケンカした。原因は些細なことばかりであったが、ひとしきり胸の内をぶちまけた後は、互いの愛を感じ、「ホリー」は「ジェリー」の温もりに支えられた。しかし、幸せは永くは続かず、「ジェリー」がこの世を去ってしまう。「ホリー」の心に空いた穴は何であっても埋められず、アパートで引き篭もる日々が続く。3週間が過ぎ、「ホリー」の誕生日が訪れた。彼女を驚かせようとアパートを訪れた「パトリシア」、「キアラ」、「デニース」、「シャロン」、「ジョン」が目にしたのは、変わり果てた「ホリー」の姿だった。そこに突然、大きなケーキが届く。送り主は「ジェリー」だった。「ホリー」は箱に添えられたテープレコーダをおそるおそる再生する。懐かしい「ジェリー」の声が蘇る。『これからいろんな方法で僕から手紙が届く。君は引き篭もるだろうと思って誕生日まで待ったんだ。1通目は明日だ。手紙の内容に従えよ。いいね?』


      「フィッシャー・キング」、「マディソン郡の橋」や「モンタナの風に抱かれて」など壮大で優美なドラマの脚本を手掛けてきたリチャード・ラグラヴェネーズがメガホンを執った。原作は、セシリア・アハーンの処女作である同名小説である。「ジェリー」は歌が好きなアイルランド人、という設定であるが、彼女もまたアイルランド出身であり、アイルランド第10代首相バーティ・アハーンの娘であることも有名である。

      亡き夫から手紙が届く、というどこかで使われたような、一方で新鮮なアイデアが効いている。ロマンスの性格を讃えていながらも、主人公が共にハッピーエンドを迎えるべきパートナーがおらず、虚無感をともなって作品は進行していく。結末を予想させない構成がおもしろい。「ホリー」はどうなってしまうのか、彼女は幸せになれるのか。そういった心配や不安を抱きながらの観賞となるが、それほどに「ホリー」の傷心がありありと表現されている。

      そんな彼女を演じるは、「ミリオンダラー・ベイビー」では果敢なボクサーを演じ、「ブラック・ダリア」では「マデリン」役を怪演したヒラリー・スワンクである。男勝りで気の強い演技の多い彼女だが、繊細でか弱い「ホリー」という役を与えられても表情は活き活きとしている。「ジェリー」の声が聴きたくて、「ホリー」がとった行動には思わず涙腺が緩んだ。「ジェリー」を演じるジェラルド・バトラーは、脳梗塞で死んでしまう「ジェリー」という役柄を与えられて我が身を振り返り、禁煙を決意したというほど演技に入れ込んだようであるが、豪傑で歌が好きで陽気なアイリッシュ男を見事に演じ上げた。実生活はろくでもないものだよ、との告白もしているが、劇中はロマンチストそのもの。「300<スリーハンドレッド>」や「幸せの1ページ」と性格の違う仕事をこなしてきた彼だが、私的にはヒュー・グラントよろしく、ロマンスというジャンルが似合っていると思う。

      いささか、観賞前の期待と観賞後の余韻が異なった作品ではあった。タイトルよろしく"手紙"が強調され、亡き夫と悲しみの妻の最期のコミュニケーションを仲介するわけであるが、実際はストーリーに抑揚をつけるためのスパイスにすぎない。「ホリー」は最愛の夫を失って、代わりに本当の自分を見つけていく。作品はロマンスというよりもヒューマン・ドラマの色が強い。お涙頂戴な演出も諸所垣間見えるものの、ロマンス路線を突っ走らなかったために嫌味がなく、ニュートラルに切なさを誘う。エピローグを目前にそれまでの独特のテンポが緩やかになってしまい、物足りないとも思ったが、なかなかの秀作。それは本作に"追伸"という言葉が持つような、控えめでしとやかであるが、強い存在感があるからだ。

    ● 製作代表 : Alcon Entertainment
    ● 日本配給 : 東宝東和
    ● 世界公開 : 2007年12月20日 - チェコ/ハンガリー/オランダ
    ● 日本公開 : 2008年10月18日
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    by movis | 2008-11-09 01:42 | ドラマ
    トラフィック / Traffic
    ● トラフィック / Traffic [アメリカ / 2000年]

    b0055200_265633.jpgアメリカ、メキシコの巨大な麻薬カルテルをみつめる、色の異なる3つのストーリー。麻薬が生み出す圧倒的な絶望感。綺麗事だけではどうにもならないこともある、と言われた気がするが、その答えを明示してもらえない。希望を探すこと。社会派として貴重な一作だった。



    監督は、「エリン・ブロコビッチ」のスティーヴン・ソダーバーグ。「ロバート・ウェークフィールド」役には、「ウォール街」のマイケル・ダグラス。「ヘレーナ・アヤラ」役には、「シカゴ」のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。「ハビエル・ロドリゲス」役には、「バスキア」のベニシオ・デル・トロ。「モンテル・ゴードン」役には、「ホテル・ルワンダ」のドン・チードル。「レイ・カストロ」役には、ルイス・ガスマン。「マノーロ・サンチェス」役には、ジェイコブ・バルガス。「カルロス・アヤラ」役には、スティーヴン・バウアー。「キャロライン・ウェークフィールド」役には、エリカ・クリステンセン。「アーニー・メッツガー」役には、「バンテージ・ポイント」のデニス・クエイド。

    "No One Gets Away Clean"
    メキシコ、ティファナ。国境警備を担当するメキシコ州警察「ハビエル」と「マノーロ」は、情報屋の垂れ込みをもとに麻薬の密輸を暴くものの、連邦警察「サラサール」将軍に容疑者の身柄を奪われてしまう。「ハビエル」の腕を認めた「サラサール」は彼を呼び出し、ティファナに根付く巨大な麻薬密輸ルートを壊滅させるために、ある任務を課すのであった。アメリカ、オハイオ。麻薬取締最高責任者に任命されたオハイオ州の最高裁判所判事「ロバート」は、新たに与えられた職務に昂揚した。しかし、彼が立ち向かうべき麻薬は、皮肉にも娘の「キャロライン」に魔の手を伸ばしていたのでった。アメリカ、サンディエゴ。子を宿し、幸せな生活を送っていた「ヘレーナ」であったが、突然、実業家の夫「カルロス」が麻薬取締局(DEA)捜査官「モンテル」と「レイ」に逮捕されてしまう。呆然とする「ヘレーナ」に、顧問弁護士「アーニー」は驚くべき事実を告げて…。


      社会派やドキュメンタリーにも通じるスティーブン・ソダーバーグは、本作で2000年アカデミー賞監督賞を受賞した。アメリカ・メキシコをまたがって蔓延る巨大な麻薬カルテルに焦点を当てた犯罪ドラマ。同年、ソダーバーグは「エリン・ブロコビッチ」を製作しているが、雰囲気が異なる両作品は、社会の諸問題を鋭くえぐっている点で共通している。

      アメリカ、メキシコに蔓延る"麻薬"という闇をテーマを直視している。フィクションであるとはいえ、麻薬の脅威や恐怖が映像を生々しく這い回り、絶望を誘う。非常に濃厚な麻薬戦争を舞台としながらも、抑揚は小さく、物語は情をはさむ余地もないほどに淡々と進んでいく。むしろ、この性格があるからこそ、テーマが現実的、日常的に体感できる。雲の上の話とも他人事とも思えず、世界観に惹きこませる演出が巧い。観る者を"その気"にさせる本作の引力は、ひとつのテーマを異なる環境、異なる人間がみつめる群像劇から生まれているように思える。

      物語を牽引していく「ロバート」、「ハビエル」、「モンテル」らだけでなく、彼らの家族、恋人、同僚の存在感も鮮やかであった。それぞれの生活が、赤、青、黄色と映像の色相が描き分けられている点も本作の特徴で、それぞれが異色の憂鬱と決意を秘めている。この三原色が混ざり合ってきたころには、ようやく明示的な解決策がないこと、愛や勇気だけではどうにもならないことを実感しはじめる。次第に、正義と悪の境界が滲み始め、正気を失いそうな不安に陥ってしまう。冒頭で述べた本作の絶望とは、まさにここに潜んでいる。

      ドキュメンタリーを観たかのようで、脱力感を得て、そして淡白だったという思いも禁じえないのであるが、一見の価値を強く主張しておきたい。ソダーバーグはエピローグのその後を観賞者の解釈に委ねているが、かろうじて「ハビエル」に希望を託しているようにも思える。彼の曇りのない眼差しの先には、おそらく後悔はない。信念という言葉に力強さ、頼もしさが帯びるような作品であった。

    ● 製作代表 : Bedford Falls Productions
    ● 日本配給 : 日本ヘラルド映画
    ● 世界公開 : 2000年12月27日 - アメリカ
    ● 日本公開 : 2001年04月28日
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    by movis | 2008-09-08 02:18 | ドラマ