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    ダージリン急行 / The Darjeeling Limited
    ● ダージリン急行 / The Darjeeling Limited [アメリカ / 2007年]

    b0055200_1693019.jpg家族の絆をテーマに、気持ちが擦れ違った3人の男兄弟がインドを旅するヒューマン・コメディ。彼らの珍道中の様子は果てなくゆるい。シリアスな展開もありながら、そっと心を洗ってくれるような温かさもある。風変わりだが、どこか憎めない不思議な作品であった。
     


    監督は、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」のウェス・アンダーソン。「フランシス・ホイットマン」役には、「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」「アルマゲドン」のオーウェン・ウィルソン。「ピーター・ホイットマン」役には、「レストラン」「戦場のピアニスト」のエイドリアン・ブロディ。「ジャック・ホイットマン」役には、「天才マックスの世界」「ハッカビーズ」のジェイソン・シュワルツマン。「パトリシア・ホイットマン」役には、「女と男の名誉」のアンジェリカ・ヒューストン。「リタ」役には、アマラ・カラン。「アリス」役には、カミーラ・ラザフォード。「ブレンダン」役には、ウォレス・ウォロダースキー。ワリス・アルワリア、イルファン・カーン、バーベット・シュローダー、ナタリー・ポートマン、ビル・マーレイらの出演も。

    "あした、僕たちはどこにいるんだろう..."
    インド北西部を走る"ダージリン急行"が駅のホームを離れて速度を上げる。これに乗り遅れんとホームを駆ける「ビジネルマン」。さらに彼の後を追う「ピーター」。呆然と列車を見送る「ビジネスマン」を横目に、「ピーター」は何とかキャビンに転がり込んだ。「ピーター」を出迎えたのは、「ホイットマン」3兄弟の末っ子「ジャック」だった。3兄弟は父親の死をきっかけに絶交状態であったが、長男「フランシス」が兄弟の絆をとりもどすため、こうしてインドの地に弟たちを呼び出したのだった。彼らの日常は順風満帆とは言いがたい。忠実な助手「ブレンダン」を連れている長男「フランシス」はバイク事故で重傷を負い、奇跡の生還を果たすものの頭に巻かれた包帯が痛々しい。父の遺産を独り占めするな、と「フランシス」から詰め寄られている次男「ピーター」は、妊娠7ヶ月半の妻がいるものの価値観の違いから離婚を考え始めている。自らの家族をネタにした『ルフトヴァッフェ修理工場』という小説を書き上げた、作家の三男「ジャック」は失恋したばかりだ。兄弟の絆を取り戻す、という目的がある旅行であるにも関わらず、1年の期間を空けての再会は穏やかであるわけもなく…。


      活躍が期待される若手監督ウェス・アンダーソンは、「フランシス」役として本作にも出演しているオーウェン・ウィルソンと関係が深い。「ザ・ロイヤル・テネンバウムズ」では共に2001年第74回アカデミー賞の脚本賞ノミネートを受けている。本作は、オーウェン・ウィルソンに加え、「天才マックスの世界」でウェスと仕事を共にしたジェイソン・シュワルツマンと、「戦場のピアニスト」でアカデミー主演男優賞を受賞したエイドリアン・ブロディを迎え、インドの地を舞台にした男三兄弟の珍奇な旅が描かれている。どこかズレていて、果てしなくゆるい。取り留めもないが、それが癖になりそうな作品であった。

      何よりもまず色彩とアイテムの可愛らしさに目を奪われる。インドという舞台を、多少は偏ったデザインで描いているのだろうけれども、赤、橙、黄色などの暖色で彩って、エキゾチックで解放的に魅せている。これはミレーナ・カノネロら著名な美術クリエイターの成せる業。「ホイットマン」3兄弟の旅を眺めながら、自身の旅情をそそられるようであった。そして本作でもっとも印象的なアイテムが、マーク・ジェイコブスが直々にデザインしたヴィトンのスーツケース。「ホイットマン」3兄弟が両手いっぱいに抱えたスーツケースには何が詰まっているのか。ウェスが本作で描きたいメッセージのひとつが、このアイテムに隠されている。
      
      兄弟のはぐれた絆を取り戻す、という名目のインド旅行には、生き別れた彼らの母親に会うという目的も潜んでいる。3人の男のゆるい珍道中に終始するかと思いきや、意外にもシリアスな展開が待っている。ウェスのこれまでの作品でも観られたような"家族の大切さ"が語られるわけだが、どうも彼の作品の語り口はシャイなのか素直じゃないのか、不器用さを感じ得る。それはまさに「ホイットマン」3兄弟の気持ちの通い合いの様子そのままで、でもどこかいじらしく憎めないのだ。その3兄弟を演じる、オーウェン・ウィルソン、エイドリアン・ブロディ、ジェイソン・シュワルツマンという面々は兄弟という設定が無謀とも思えるキャスティングだが、これもなかなか味わい深い。それぞれが異なる心と強い個性を持つ男たちが、何をキッカケに、どういった過程で絆を取り戻していくのか。珍道中の終わりは、独特のカタルシスを以って描かれる。
      
      ウェスの音楽の選び方もセンスが光る。「Peter Sarstedt」、「The Kinks」、「The Rolling Stones」らの楽曲を巧みに使いながら、ロードムービーとしての本作全体を盛り上げていく。そういった意味では、本作をBGMの代わりに観賞するのもオススメ。家族というテーマがあり、シリアスな展開があるにしても、やはり「ホイットマン」3兄弟の珍道中はゆるい。彼らの絆に涙を誘われても良し、インドの情緒に魅了されても良し。癖があって風変わりだが、そっと心を洗ってくれるようなヒーリングを備えた、性格の面白い作品だ。
     
    ● 関連作品 ※レビュー対象外
    ホテル・シュヴァリエ [2007年]
     → 「ダージリン急行」本編上映前のプロローグ作品。
     
    ● 製作代表 : Fox Searchlight Pictures
    ● 日本配給 : 20th Century Fox
    ● 世界公開 : 2007年09月29日 - カナダ
    ● 日本公開 : 2008年03月08日
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    by movis | 2009-06-21 16:17 | コメディ
    真夏のオリオン / Last Operations Under the Orion
    ● 真夏のオリオン / Last Operations Under the Orion [日本 / 2009年]
     
    b0055200_2113089.jpg誰が1人欠けたとて、成立しないだろうな、と思えるほどのキャラクターの魅力。あらゆる要素がバランスよく描かれ、安心して観賞できる作品だが、メッセージの熱さが意表を突く優秀なドラマ。過去を描いたつもりはない、という福井晴敏の真意にも注目。
     


    監督は、「地下鉄(メトロ)に乗って」の篠原哲雄。監修は、著作『亡国のイージス』『終戦のローレライ』の福井晴敏。原作は、池上司の『雷撃深度一九・五』。「倉本孝行」役には、玉木宏。「倉本いずみ」「有沢志津子」役には、北川景子。「有沢義彦」役には、堂珍嘉邦。「坪田誠」役には、平岡祐太。「遠山肇」役には、黄川田将也。「鈴木勝海(17歳)」役には、太賀。「森勇平」役には、松尾光次。「早川伸太」役には、古秦むつとし。「小島晋吉」役には、奥村知史。「山下寛二」役には、戸谷公人。「久保憲明」役には、三浦悠。「岡山宏次」役には、山田幸伸。「有馬隆夫」役には、伊藤ふみお。「秋山吾朗」役には、鈴木拓。「マイク・スチュワート」役には、デヴィッド・ウィニング。「ジョセフ・フリン」役には、ジョー・レヨーム。「桑田伸作」役には、吉田栄作。「鈴木勝海(現在)」役には、鈴木瑞穂。「中津弘」役には、吹越満。「田村俊雄」役には、益岡徹。

    "きっと帰ると、オリオンの星に誓った。"
    『あの夏、私の祖父が何を失い、何を手にしたのか―。それを知りたくて、こうして手紙を書いています』。翌年から教員という進路が決まっている「倉本いずみ」のもとに、アメリカから1通の手紙が届いた。差出人の祖父「マイク・スチュワート」は、第二次世界大戦期、アメリカ海軍の駆逐艦"パーシバル"艦長として日本と戦い、輝かしい戦歴を誇ったにも関わらず、戦争のことは何も語らなかったという。当時の携行品も残さないという徹底振りであったが、唯一大切に保管していたものがあった。それは「倉本いずみ」に届いた手紙に同封されていた、イタリア語のメッセージと彼女の祖母「有沢志津子」のサインが添えられた1枚の楽譜だった。「倉本いずみ」は教育実習の過程で生徒から、なぜ人は戦争で殺しあうのか、と問われていた。確信を持って答えることができなかった。なぜ遠く離れたアメリカの地に祖母の楽譜が眠っていたのか、64年前の夏に何があったのか。彼女は、祖父「倉本孝行」が指揮を執った"イ-77"艦に乗務していた「鈴木勝海」を訪ねた…。

     
      池上司による原作『雷撃深度一九・五』を、「地下鉄(メトロ)に乗って」の篠原哲雄が映画化。監修を、『亡国のイージス』や『終戦のローレライ』などの著作を持つ小説家、福井晴敏が務める。狭い潜水艦の中で、アメリカ海軍に戦いを挑む男達の姿を描いた戦争ドラマ。ディック・パウエル監督の「眼下の敵」をリスペクトしているとの言葉通りの知的な戦略ゲーム、フレンドシップやロマンス、そして戦争の悲惨さなどがほどよいバランスで表現されているので、安心して観賞できる作品だ。突出して何かが特長的ともいえないが、観賞後の嬉しい余韻は、ここで描かれている人間そのものが非常に魅力的であったからだ。

      物語のトリガーは現代を生きる「倉本いずみ」にアメリカから届く一枚の楽譜であるが、この設定が巧い。手紙でも書物でもよく、楽譜というアイテムは一種のマクガフィンと言えるのかもしれないが、「有沢志津子」がイタリア語でメッセージを添えたように、英語の使用が禁じられていた当時の日本人とアメリカ人が互いに価値を認めることができるアイテムであるべき、と考えれば、自ずと楽譜であることの意味が説得力を帯びてくる。こうして「有沢志津子」が愛する「倉本孝行」の無事を祈って作曲した"真夏のオリオン"という楽曲は、アメリカ海軍の「マイク・スチュワート」の心にも響いていく。なぜ「マイク・スチュワート」が戦歴を自慢することもなく、当時の携行品までをも処分したのか、詳細については言及されないが、唯一残したものが"真夏のオリオン"の楽譜だったというところに、物語の本質が強調されているようにも思える。
     
      その物語の本質とは、"真夏のオリオン"が作曲された背景を見れば明らかであろう。「倉本いずみ」が生徒に問われて答えに窮した『なぜ戦争で人は殺しあうのか』という疑問。恐らくは「倉本孝行」と「マイク・スチュワート」も楽譜を目の前にして同じ疑問が頭を過ぎったのではないか。それでも、彼らには戦い続けなければならない互いの立場があって、本作は暗黙的ではありながらも戦争の困難と犠牲に対する深慮を誘ってくるのだ。

      ところが、監修の福井晴敏は、プレス取材の中で『過去を描いたつもりはありません』と明言しているのだ。「ローレライ」と本作の在り方の違いを彼はこう述べる。『「ローレライ」においては、未来、すなわち我々が生きる現代に希望を託し、進んで捨石になった人々の姿を描きました。(中略)生きる意義を再発見してもらえないものかと目論んだのです。(中略)過去を確認して現代をありがたがっていられるものか?答は考えるまでもありません。現代こそが困難な時代になったのです』。つまり、本作は第二次世界大戦を舞台に描かれているものの、過去から日常の有難みを知るのではなく、過去から学び、それを未来に活かそうと提案を投げかけているのだ。福井のメッセージを意識すれば、単なる戦争ドラマだとは思えないだろう。
     
      彼の主張の代弁者となるのが、玉木宏、北川景子らをはじめとした俳優陣である。冒頭でも述べたように、彼らの仕事が非常に冴え渡った。あらゆる登場人物に個性があって、キラキラと輝いているのである。本作の主な話題のひとつは、JPOPの人気デュオ「CHEMISTRY」の堂珍嘉邦と、人気お笑いコンビ「ドランクドラゴン」の鈴木拓、両名の出演であろう。こういった異なったワークフレームの人間の演技は、怖いもの見たさで観賞することが多いが、期待は嬉しく裏切られた。堂珍嘉邦は"イ-81"艦の艦長「有沢義彦」役として、「倉本孝行」の親友、「有沢志津子」の兄として、玉木宏、北川景子と堂々と渡り合った。鈴木拓は、"イ-77"艦の烹炊長「秋山吾朗」役として、飯食らいの「倉本孝行」の指示に間延びした返事をするものの、艦員に美食を提供しようと奮起する忠実な主計科員を演じきった。

      優男だが部下を愛し「もったいない」という名台詞を生んだ「倉本孝行」を演じた玉木宏、「倉本いずみ」と「有沢志津子」という心境の異なる二役を見事に演じ分けた北川景子、人間魚雷と言われる"回天"の搭乗員として使命を真っ当しようとする「遠山肇」役を冷静に演じた黄川田将也など、ここには書き尽くせぬくらい、登場人物には異なる存在感がみなぎっている。福井晴敏の面食らうような意外性のあるメッセージは、こうした俳優陣の仕事振りで、何倍も熱く、優しくスクリーンを彩っているのだ。例えば、「倉本孝行」や「有沢義彦」らはなぜ若くして知的な戦略ゲームを繰り広げられるほどの艦長になりえたか、など、背景が語られてほしいシーンも少なくないのであるが、希望を与えてくれるエンターテイメントとして極めて優秀なドラマだ。福井晴敏は、コメントをこう締めくくっている。『「真夏のオリオン」の真夏は、2009年の真夏なのです』、と。
     
    ● 製作代表 : テレビ朝日
    ● 日本配給 : 東宝
    ● 世界公開 : 2009年06月13日 - 日本
    ● 日本公開 : 2009年06月13日
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    by movis | 2009-06-06 21:06 | 邦画
    7つの贈り物 / Seven Pounds
    ● 7つの贈り物 / Seven Pounds [アメリカ / 2008年]

    b0055200_4301348.jpgネタバレ厳禁という謎の多い作品に惹かれる。本作も同様に好奇な期待を込めて観賞し、見事に翻弄されたが、結論を知ると描法の選択は適切だったものかと疑いを持ってしまう。賛否を生んで然りの作品だが、ムッチーノの主張、意図はわかりやすいか。



    監督は、「幸せのちから」のガブリエレ・ムッチーノ。「ベン・トーマス」役には、「幸せのちから」のウィル・スミス。「エミリー・ポーサ」役には、「イーグル・アイ」のロザリオ・ドーソン。「エズラ・ターナー」役には、「ラリー・フリント」のウディ・ハレルソン。「ベン」の弟役には、マイケル・イーリー。「ダン」役には、「エネミー・オブ・アメリカ」のバリー・ペッパー。

    "Seven Names. Seven Strangers. One Secret."
    文字で埋まった資料群と携帯電話。サラリーマンのエリートともとれる「ベン・トーマス」の眼には決意と悲哀が映る。「ベン」はおもむろに、とあるネット販売会社のクレーム窓口に電話をかける。その対応に当たったのは、「エズラ・ターナー」という盲目の男。ピアノに才能がある彼だが、さすがにそれだけでは生計が立たず、電話対応の仕事に就き、そして「ベン」を対応することになった。「ベン」は「エズラ」に対して、購入した肉がまずかった、という事実をでっち上げ、それを皮切りに罵詈雑言を浴びせる。しかし、「エズラ」は挑発には乗らず、誠実に真摯に応えた。「ベン」は唯一の肉親である弟と、電話で意味不明な会話をする。国税庁職員の肩書きを持つ彼は、税金滞納者のリストを眺める。彼は、そこに名前のあった「エミリー・ポーサ」を訪ねることにする。ともかく、彼の行動には謎が多くて…。


      「幸せのちから」でコンビを組んだガブリエレ・ムッチーノとウィル・スミスが、再びヒューマン・ドラマの制作に挑んだ。相変わらずのウィル・スミスの熱演や、これまで気丈な役柄の多かったロザリオ・ドーソンの女性らしい演技など、眼でみて楽しい魅力を備えた作品ではあったものの、ストーリーの本流を明かさない予告編で煽られた好奇な期待はやや打ち砕かれた感がある。

      ストーリーの本流を明かさない予告編とは、ただ「ベン」が人々に対して何がしかの奉仕を施し、なぜだか悲痛な表情を浮かべる、という意味深なシーンを映し出したものであった。当然のことながら、それに対する好奇な期待というのは、「ベン」の行動の動機と目的である。これと、『ウィル・スミスだから安心』という下心が観賞のモチベーションだった。結論を最期まで明かさない、または物語を先読みさせないミスリードを含める、といった作品は本作に限らないわけだが、"ヒントのようなもの"を小出しにし、物語の序盤から結末を知らないと理解できない台詞を並べ、まるで観賞者を迷路に投げ込むかのような意地の悪いプロットの組み方はうまい。ヒューマン・ドラマを謳いながらも、極端なところ、SF要素を持ってきても、ミステリー要素を持ってきても、結論次第では上手くまとまりそうな展開に翻弄されてしまった。

      本作で「ベン」と関わりを持つ人間は複数登場するが、とりわけ「エミリー」とのエピソードが前面で描かれる。犬の散歩から帰った彼女は、自宅の玄関先で突然倒れこんでしまう。心臓疾患を抱えている「エミリー」は明るくポジティブな性格だが、悲しくも自身の生く末を悟り、何もかもを諦めてしまったかのように眼が虚ろであった。「ベン」との出会いがそれを変えていく。「エズラ」や「ホリー」、「ジョージ」も同様で、なぜか「ベン」は彼らの悲しみを一身に背負っていく。「ベン」と唯一彼の奇行の全貌を知っている「ダン」、そして「ベン」から施しを受ける人々との反比例な感情の変化が切ない。映像にあっても、例えば海辺の美しい住宅が映るシーンでも喜びと悲しみ、どちらともとれるような色彩があって、正負感情の二面性が表れているように思えた。

      そうした魅力を認めておきながらも、冒頭で『期待はやや打ち砕かれた』と述べた理由は、物語の結論にある。それは本作の結末に対して、賛否両論が巻き起こっていることをみれば明らかで、「ベン」の行動の全貌を知って、プロローグからの一連の出来事の説得が途端に揺らいでしまうからだ。ずばり、観賞者個々の信念や倫理観によっては作品の価値が大きく二分され兼ねない危うさがある。こうした性質を持つ作品には、絶対的な答えがあるわけではなく、観賞者の数だけ解釈があって然るべきだと思ってはいるものの、描法の選択が正しかったのかどうかが疑問だ。"衝撃の結末"には鎧袖一触の絶対的な説得があって欲しく、また、繊細なテーマを扱う上では物語は慎重に語られて欲しいというのが個人的な願いである。

      ともあれ、ムッチーノが語る『当たり前のものとして考えてしまう人生の儚さ、大切さ』は、素直に心に染み入った気がする。「ベン」の行動に対して否定も肯定もしない。それは彼なりの選択であったからで、例えば自分であれば…。作品は、「神は7日間で世界を創造した。僕は7秒間で人生を叩き壊した」というベンの語りで始まる。人生の貴重さを再認識させてくれた作品として、一見の価値は認めておきたい。

    ● 製作代表 : Columbia Pictures
    ● 日本配給 : Sony Pictures Entertainment
    ● 世界公開 : 2008年12月19日 - アメリカ
    ● 日本公開 : 2009年02月21日
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    by movis | 2009-04-26 04:37 | ドラマ
    ベンジャミン・バトン 数奇な人生 / The Curios Case of Benjamin Button
    ● ベンジャミン・バトン 数奇な人生 /
        The Curios Case of Benjamin Button [アメリカ / 2008年]

    b0055200_1932362.jpg年齢を重ねるたびに身体が若返っていく男の数奇な生涯を、デヴィッド・フィンチャーが不思議なファンタジータッチで描く。人と出会うこと、互いに影響を与え合っていくこと、人を愛すること。当然のことのようで大切な、人生の哀歓を優しく諭してくれる作品だった。



    監督は、「セブン」「ファイト・クラブ」のデヴィッド・フィンチャー。「ベンジャミン・バトン」役には、「バーン・アフター・リーディング」のブラッド・ピット。「デイジー」役には、「アビエイター」のケイト・ブランシェット。「エリザベス・アボット」役には、「フィクサー」のティルダ・スウィントン。「トーマス・バトン」役には、「スナッチ」のジェイソン・フレミング。「ムッシュ・ガトー」役には、「ゾディアック」のイライアス・コティーズ。「キャロライン」役には、ジュリア・オーモンド。「クィニー」役には、「ハッスル & フロウ」のタラジ・P・ヘンソン。「デイジー(6歳)」役には、エル・ファニング。

    "Life isn't measured in minutes, but in moments"
    嵐を予感させる強い雨が病院の窓を叩く。ベッドに横たわった老女は自身の死期を悟った。傍らに付き添う若い女性は、老女の頼みで日記と思われる一冊のノートを読み上げる。1918年、ルイジアナ州のニューオリンズ。第一次世界大戦が終結し、生まれるには最高の夜と思しき日に、日記の著者は生を受けた。しかし、顔はまるで老人のように皺にまみれ、80歳に相当するほど弱った身体の赤ん坊であった。彼の父親は、赤ん坊の容姿と妻の死にショックを隠せず、老人養護施設の前に我が子を置き去りにしたのであった。生まれながらにして人とは違う境遇に生まれた彼にとって幸いであったのは、この施設で働く「クィニー」が惜しみない愛情を与えてくれたことだった。「ベンジャミン」という名を与えられた彼は、数奇な人生を歩むこととなる…。


      原作は、「The Curios Case of Benjamin Button」というタイトルで執筆されたF・スコット・フィッツジェラルドの短編小説。本作の脚本には、「フォレスト・ガンプ/一期一会」「インサイダー」のエリック・ロス。第81回アカデミー賞では、作品賞、監督賞、ブラッド・ピッドの主演男優賞、タラジ・P・ヘンソンの助演女優賞をはじめ13部門でノミネートを受け、その内、美術賞、メイクアップ賞、視覚効果賞で最優秀賞に選ばれた。

      第一次世界大戦終結の年から、21世紀を生き抜いた一人の男の生涯をたどる。ただ、彼の人生が他の人の人生と圧倒的に違うのは、年を重ねるたびに肉体が若返っていく点だ。ピーター・ドナルド・ダバラメンティ二世、ロバート・タワーズ、トム・エヴァレットらの協力を得ながら、「ベンジャミン・バトン」が違和感なく若返っていく様は視覚的に面白い。ブラッド・ピットは特殊メイクの為に長時間座っていることが嫌だった、と語っているが、アカデミー賞ノミネートにヴィジュアル・エフェクトに関する部門が多いことは、彼らの苦労の成果だといえる。

      人間は一生のうちに出会う人数はある程度決まっている、という話を聞いたことがある。本作は、哀愁ただようファンタジー作品でありながらも、自分を理解してくれる人間の有難み、その人との出会いの稀少さ、といった人間の繋がりの温かさが強烈に迫ってくる。「ベンジャミン」の身体は歳をとって若返っていくわけだが、他人の人生と異なる点というのは、まさにそれだけだと言ってもよくて、彼も他人と同じように懸命に人生を生き抜いていく。しかし、やはり、他人と唯一違う彼の体質が、人生のあらゆる局面でジレンマとなっていく。だからこそ、「ベンジャミン」に同情的になってしまい、本作は暗調ともとれるのだが、「ベンジャミン」の透き通った人間性が不思議な安心感を醸し出す。

      肉体的には老人であった「ベンジャミン」幼少の頃、彼は「デイジー」と出会った。周囲の怪奇な視線をもろともせず、子供の2人だけが互いの純心を見抜く。だが、「ベンジャミン」は自身を巡る不遇を誰よりも理解している。彼にとっては叶わぬ恋だった。彼は何かを求めて世界に飛び出した。長い旅路の中で、"アーティスト"や"泳ぐ人"などと出会っていく。彼の真っ直ぐな生き方や疑いようのない誠実さは、彼らとの出会いによって熟成されていき、また相手も「ベンジャミン」から何かを学びとっていく。やがて、「ベンジャミン」と「デイジー」のヴァイタル・バランスが一瞬均衡を保ったとき、運命が彼らを結びつけた。だが、「ベンジャミン」は"永遠のものなんてない"と悲観的になるのだが、「デイジー」は違った。

      誰もがみな、自分は人とは違うと思うもの。しかし、通る道は違っても、行き着く先は同じ。作品が強調するこのメッセージが、「ベンジャミン」と「デイジー」を介して、ドラスティックに心に訴えかけてくる。"Button(ボタン)"を掛け違えながらも、やがて正しいボタンホールにたどり着くように。カミナリに七回打たれる人、ボタンを作る人、母親、踊る人、すべての出会いが美しい。漫然と人と出会い、人生を生きてきたような気がするが、本作の観賞でハッとした。つらいこと、頭悩ませること、生きていくうえでの憂鬱は多い。でも、もしかしたら「ベンジャミン」と同じくらい、自身のこれまでの出会いは奇跡的で、相互にいい影響、悪い影響を与え、与えられながら、無二で数奇な人生を歩んでいるのかもしれない。こんなことを思いながら、なぜだか目頭が熱くなった。理論的でも宗教的でもない。人生はすばらしい、そう温かく教えてくれた作品だった。

    ● 製作代表 : The Kennedy/Marshall Company
    ● 日本配給 : Warner Bros.
    ● 世界公開 : 2008年12月10日 - オーストラリア(シドニー/プレミア)
    ● 日本公開 : 2009年02月07日
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    by movis | 2009-03-14 19:41 | ファンタジー
    誰も守ってくれない / Nobody to watch over me
    ● 誰も守ってくれない / Nobody to watch over me [日本 / 2008年]

    b0055200_2161899.jpg演技派俳優が名を連ね、非常に精巧なドラマであった。容疑者家族の存在に焦点を当て、メディアや社会システムの現実に一石を投じ、社会派作品としては重要な存在意義がある作品だと思う。しかし、本作のメッセージが万人に届くかどうかを考えると…。



    監督は、"踊る大捜査線"シリーズの君塚良一。「勝浦卓美」役には、佐藤浩市。「船村沙織」役には、志田未来。「三島省吾」役には、松田龍平。「本庄圭介」役には、柳葉敏郎。「本庄久美子」役には、石田ゆり子。「梅本孝治」役には、佐々木蔵之介。「佐山惇」役には、東貴博。「尾上令子」役には、木村佳乃。「坂本一郎」役には、佐野史郎。「稲垣浩一」役には、津田寛治。「園部達郎」役には、冨浦智嗣。

    "殺人犯の妹となった少女と彼女を守る刑事の逃避行が始まる──"
    晴れた中学校の校庭では体育の授業が行われ、生徒たちの眩しい笑顔が零れている。その輪の中に「船村沙織」の姿があった。しかし、その頃、彼女の自宅に警察官が押し入った。「沙織」の未成年の兄が、小学生姉妹殺人事件の容疑者として逮捕されたのだ。東豊島署の刑事「勝浦卓美」と「三島省吾」は、同署暴力犯係係長の「坂本一郎」に呼び戻される。命ぜられた任務は、容疑者家族の保護であった。彼らを何から守るのか。「勝浦」と「三島」は、船村家を取り囲む野次馬やマスコミを目の当たりにして、自ら答えを見出した。決して、公にされることのなかった任務。1月24日の長い夜は、彼らの苦悩の幕開けにすぎなかった…。


      "踊る大捜査線"シリーズで有名な監督の君塚良一と製作の亀山千広が贈る、殺人容疑者家族の少女と彼女の保護を担当する刑事の逃避行を描いたシリアス・ドラマ。君塚はプレスリリースの中で、"踊る大捜査線"シリーズ製作時に重ねた取材の中に本作のモチーフがあると語っている。ここで興味深いのは、善と悪が明確な"踊る大捜査線"シリーズとは異なって、本作は只ひたすらに深慮を煽ってくる憂鬱な物語である点だ。彼は、当初はこれほど鋭く社会を描くつもりはなかった、と語りながらも、今後エンターテイメントとしての警察ドラマを描くためには、社会の現実と向き合う必要があった、と意気込んでいる。君塚にしては珍しい、シリアスの真ん中を行く作品であるから、本作が今後の彼の活動にどのような影響を与えていくのかが楽しみだ。

      "踊る大捜査線"シリーズ製作時の取材の中から拾い上げたモチーフ。それは、警察が容疑者の家族を保護する仕事がある、というエピソードであった。物語は刑事である「勝浦」と殺人容疑者家族である「沙織」がドラマを織り成すまでは、ハンディ・カメラでの撮影が功を奏してか、ドキュメンタリーのごとく淡々と映像が過ぎ去っていく。例えば、マスコミの現地レポーターの奥に見えている殺人容疑者の自宅の中で、残された家族を相手に、警察やその他関係者が粛々と"仕事"を進めていくシーンなどは圧巻であった。原田眞人の「クライマーズ・ハイ」が良い例だが、こうした日本人の役人根性や無関心さがもっと邦画で描かれてほしい。人間のクールな気質や無表情は洋画ではなかなか観ることはできないし、ある種、日本人に独特であると思うからだ。本作の「勝浦」と、かろうじて「三島」に、彼らの周囲よりも強く人間味を感じるように、感情の寒暖を描く土台の上に乗ったドラマは浸透力が違う。私はこの手の作品には弱い。
     
      社会の現実を描くため、容疑者家族に焦点を当てるという独創的なアプローチを採る中にあって、警察が彼らを保護する理由に、彼らの自殺を防ぐ目的があることが語られる。犯罪容疑者の家族はあらゆるレッテルを張られ、社会からの冷ややかな、時には好奇の視線が身を突き刺す。保護を担当する刑事もまた罵倒や批判の対象となる。犯罪容疑者を取り巻く人々の生き難さは映像を通して、ありありと伝わってきた。さらに、容疑者家族においても、思春期の真っ只中を生き、感受性が鋭い13歳の女の子「沙織」を核に描いたことで、彼らが置かれている立場の苦々しさ、痛々しさが一層惹き立てられている。

      さて、君塚はプレスリリースにおいて"解釈は観た人に委ねる"との意図を強調しているが、本作のテーマも然ることながら、ドラマの主張の向かう先が極めて限定的であることが気に掛かる。それは、例えば「船村家」と同じ境遇に置かれた人たちが希望を見出そうとして観賞するかもしれないし、普段はメディアで語られることの少ない容疑者家族というテーマに興味を持った人たちが、好奇心や社会勉強を兼ねて観賞するかもしれないが、同様の事件で被害者という立場に立たされた人たちは本作をどう捉えるか、である。その点を配慮してか、本作には「本庄圭介」と「本庄久美子」という登場人物に被害者家族の心境を代弁させている。しかし、彼らはあまりに人が出来すぎていた。仮に私が大切にしている人間の命が他者によって奪われた、とするならば、おそらく「沙織」、そして「本庄」夫婦の言動にすら憤りや嫉妬といったあらゆる負の感情が沸き上がってきてしまいそうだ。例え、彼らは双方が"被害者"だという理論に一理あると思っていても、である。
      
      実社会においては、毎日のように殺人や暴行、死や傷といった漢字が様々なメディアを巡る。私は、そうした報道を受けて、被害者の傷ましさが心痛となることはあっても、容疑者や被告人が残した家族に対して何か特別な想いを抱くことはない。したがって、容疑者家族の存在を明らかにし、メディアや社会システムの現実に一石を投じたという意味では、社会派作品として重要な存在意義があるように思う。自分が容疑者家族の立場だったら、被害者家族の立場だったら、という深慮のトリガーとなって、観る人の感情を揺さぶることもまた、作品の意義として重要である。しかしながら、やはり被害者家族の立場を思うと、どうしても本作の観賞を万人に勧められないのである。

    ● 関連作品 ※レビュー対象外
    誰も守れない [TV/2009年]
     → タイアップ作品、TVムービーとして放送

    ● 製作代表 : FILM
    ● 日本配給 : 東宝
    ● 世界公開 : 2009年01月24日 - 日本
    ● 日本公開 : 2009年01月24日
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    by movis | 2009-02-03 21:12 | ドラマ
    ミリオンダラー・ベイビー / Million Dollar Baby
    ● ミリオンダラー・ベイビー / Million Dollar Baby [アメリカ / 2004年 / PG-12]

    b0055200_0124693.jpg美しい語り口と哀歓の描き方。クリント・イーストウッドの持ち味が十二分に発揮された、濃厚なヒューマン・ドラマ。アカデミー賞4部門にて最優秀賞に選ばれたものの、賛否両論を生む理由がある。万人には勧めにくいものの、重要な議題を与えてくれる一作であった。



    監督と「フランキー・ダン」役には、「ルーキー」「ミスティック・リバー」のクリント・イーストウッド。「マギー・フィッツジェラルド」役には、「ボーイズ・ドント・クライ」のヒラリー・スワンク。「エディ・"スクラップ・アイアン"・デュプリス」役には、「ショーシャンクの空に」のモーガン・フリーマン。「デンジャー・バーチ」役には、「あの頃ペニー・レインと」のジェイ・バルチェル。「ショーレル・ベリー」役には、「セレブの種」のアンソニー・マッキー。「ビッグ・ウィリー」役には、マイク・コルター。

    "Beyond his silence, there is a past. Beyond her dreams, there is a feeling.
     Beyond hope, there is a memory. Beyond their journey, there is a love. "
    「フランキー・ダン」は、ロサンゼルスにある古びた小さなボクシング・ジムを経営している。かつては優秀なカットマン(止血係)であった彼の指導方針は、ビッグ・タイトル獲得を焦らず、慎重かつ保守的であるため、才能に溢れる若きボクサーは皆、彼の元を去ってしまう。実娘「ケイティ」とも連絡が付かず、「フランキー」は孤独な日々を送った。31歳の女性「マギー」がこのジムに押しかけてきたのは、「フランキー」が手塩にかけて育てた「ビッグ・ウィリー」が彼に別れを告げた頃だった。不遇の人生を歩んできた「マギー」は、自身のボクシングの才能に望みを託している。そんな彼女に「フランキー」は見向きもせず、女性ボクサーは取らない、という台詞を繰り返すばかりだ。「マギー」はそれでも折れず、毎日のようにジムへと脚を運ぶ。そんな彼女の姿を見守っていた「フランキー」の親友であり、ジムの雑用係である元ボクサー「エディ」は、「マギー」の将来性を感じ、「フランキー」を説得にかかるのであった…。


      2003年の「ミスティック・リバー」と同様、監督と音楽を兼務し、「フランキー・ダン」役にて主演にも挑んだクリント・イーストウッドの意欲作。2004年に開催された第77回アカデミー賞では7部門のノミネートを受けた。不遇にも、この授賞式では11部門のノミネートを受けたマーティン・スコセッシの「アビエイター」と角を突き合わせる格好となったが、作品賞、主演女優賞、助演男優賞、監督賞と主要4部門でオスカー像を勝ち取った。意外にも、助演男優賞ノミネートでは常連のモーガン・フリーマンは、この作品で初めて最優秀賞を獲得している。

      感情表現や人間関係に滅法不器用な「フランキー」は、人を思い遣る深い心があるにも関わらず、それが上手く相手に伝わらない。どれだけ大切にボクサーを育てても、皆、彼の真意を量りかね、我慢を強いられていると思い込み、去っていってしまう。それは実の娘の「ケイティ」も同じだ。「マギー」を巡る人生は不遇の極みであった。貧しい家庭に育ち、自分を唯一可愛がってくれた父親の死後は、強欲非道な母親や兄弟に囲まれて育った。彼女はそんな家族に対しても愛情を抱え、幼少からウェイトレスで生計を立て、自分の存在意義をボクシングに見出してきた。私は、哀歓を語らせれば、クリント・イーストウッドの右に並ぶ監督はそういないと思っているが、本作では「フランキー」と「マギー」の少し性格の異なる"孤独"が、互いの出会いを以って、光を差し込んでいく語り口が最高に美しいと思った。

      慎重で保守的な「フランキー」と、ハングリーで好戦的な「マギー」という対極の人間が"孤独"という唯一の共通点によって理解を深め、相手を尊重していく。互いの頑固な信念がぶつかりあっている内はヒヤヒヤとするが、それを上手く噛み合わせていくのが「エディ」だ。もちつもたれつ3人の人間が絡み合いながら、ある意味では「マギー」が強引に「フランキー」と「エディ」を牽引しながら、物語は輝かしい予感を振り撒き、また微笑ましく展開していく。もうこのまま光を観て作品がエピローグを向かえてもいい。そう思えるほど、寡黙でありながら、彼らの人格や彼らの抱える"孤独"がありありと映像に表れているのだ。

      しかしながら、伝統ある栄誉を与えられ、こうした非常に精巧なヒューマン・ドラマを讃えていながらも、本作には賛否両論が尽きない。その理由は、作品の核心に触るものであるために言及を避けるが、倫理学上では注意深く語られるべきであるテーマを、あまりに唐突かつ大胆に表現してしまっているからだ。それなりに予兆はあるものの、絶望が一気に噴出する。ある者が口にすること、ある者がとった行動、例えば自分が「フランキー」だったら、「エディ」だったら、「マギー」だったら、思わず深慮に耽ってしまうような憂鬱がある。私は、誰の考えも、誰の行動も、何が間違っていて何が正しいかを語ることができない。それは、自分の人生の中で、彼らのいづれの立場にも置かれたことがないためだろうか。きっと、あの"レモンパイ"の味は、当人にしか分からない。

      観る者の経験、生き方によって、本作が語るメッセージの解釈や心象は異なるかもしれず、敢えて万人に勧めることのできる作品ではないと言っておきたい。とはいえ、手抜きのない、丁寧で繊細なヒューマン・ドラマを体感でき、クリント・イーストウッドの持ち味が十二分に発揮されているといえよう。語り口も美しい。自身が本作に登場するいづれかの立場に置かれたとき、何を考え、どう行動するだろうか。心に重いが、重要な議題を与えてくれる作品だ。

    ● 製作代表 : Warner Bros. Pictures
    ● 日本配給 : MOVIE-EYE/松竹
    ● 世界公開 : 2004年12月15日 - アメリカ
    ● 日本公開 : 2005年05月28日
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    by movis | 2009-01-27 00:21 | ドラマ
    252 生存者あり
    ● 252 生存者あり [日本 / 2008年]

    b0055200_2495667.jpgプロローグの語り口、カタストロフィの表現は舌を巻くほどの圧倒感があるにも関わらず、作品の方向性が不安定で、ストーリーが迷走してしまっている点がはがゆい。包括的に"スペクタクル"を期待するのはお勧めできない。最大の見所は、内野聖陽の好演か。



    監督は、「舞妓 Haaaan!!!」水田伸生。「篠原祐司」役には、伊藤英明。「篠原静馬」役には、内野聖陽。「重村誠」役には、山田孝之。「海野咲」役には、香椎由宇。「藤井圭介」役には、木村祐一。「キム・スミン」役には、MINJI。「宮内達也」役には、山本太郎。「篠原由美」役には、桜田幸子。「篠原しおり」役には、大森絢音。「真柴哲司」役には、杉本哲太。「津田沼晴男」役には、温水洋一。「小暮秋雄」役には、西村雅彦。

    "史上最大の巨大台風日本直撃"
    ある日の午後、首都圏を震度5の直下型地震が襲う。人々に与えた衝撃はさほど大きいものではなく、数日後には平穏が戻った。自動車のディーラーに務める「篠原祐司」は、仕事の内容と相性が悪く、いつしか煙草に手が伸びるようになっていた。その原因は前職への想いを断ち切れていないからだ。それは彼の妻「由美」には手にとるように理解できた。そろそろ、愛娘「しおり」の誕生日が近い。「しおり」は耳が不自由だが、手話でしっかりと"不思議なものがほしい"と訴えた。彼女の誕生日、「祐司」は「由美」、「しおり」と銀座で待ち合わせることになった。数日前の直下型地震が海水温度を急騰させ、巨大な台風を生んでいることなど露も知らず…。


      日本テレビの企画制作によるパニック・ドラマ。巨大な台風によって首都圏が壊滅的なダメージを負った中での、東京消防庁ハイパーレスキュー隊の活躍と、窮地を共にした人間たちの交流を描く。本作公開前日の12月6日には、日本テレビ系列にて単発のテレビドラマ「252 生存者あり episode.ZERO」がタイアップされ、市原隼人、阿部力、上原多香子らが主演を務める中、本作の主演陣らも特別出演を果たした。

      未曾有の自然の猛威が首都圏を襲い、人は逃げ惑い、大半はあっさりと命を落としていく。作品のモチーフは稀少なものではないが、カタストロフィの描き方は非情であり、挑戦的。実際にソフトボール大の雹が降ってきた事例も、都市部を津波が襲った事例もあるようで、もしもこれが現実のものとなったら、という想像をするだけで心の底から恐怖がにじみ、わきあがるような圧倒感がある。地下鉄のホームから地上に出ようと群がる人々を濁流が一気に押し返す、という、思わず撮影の舞台裏が知りたくなってしまうシーンがあるが、少なくとも東京近郊を生活の拠点としている人間にとっては洒落にもならぬ、危機感の高まりを禁じえないだろう。

      かつて観賞した邦画のパニック作品の中でも、本作の危機描写は突出した絶望感を伴っているが、そこからエピローグに向けてのストーリー展開が迷走を極めてしまっている点が残念でならない。つまりは宣伝広告が謳う"スペクタクル"と"ドラマ"がうまく共存できていない感がある。物語最大の魅せ場であるはずの"18分間"を巡るシーンに至っても、感動を狙いとする演出が強調されてしまい、緊迫感を得るには力及ばない。純粋なパニック作品を期待していたわけでもないのだが、ドラマの魅せ方があまりに露骨であった。物語の中心となっていく「篠原祐司」、「重村誠」、「藤井圭介」、「キム・スミン」らが各々に生活に悩みや悲しみを抱えているという設定すら、どうも痛々しい。観賞者に対して、彼らの生還を願わせようとする感情移入のコントロールであることは理解できるが、それにしては物語が饒舌すぎた。

      物語は、そうした"救助される側"と、対して"救助する側"の2つの視点で描かれる。前者の「篠原祐司」と後者の「篠原静馬」が織り成す、兄弟の絆を描くエピソードも前後関係が語られないために、感動的というには違和感がある。しかしながら、救いは「篠原静馬」を演じた内野聖陽の熱演か。喜怒哀楽を鋭く表現し、レスキュー隊長を力強く、頼もしく演じた。本作は人を選ばず、たとえテレビ放映された「252 生存者あり episode.ZERO」を観ていなくとも、筋を追える寛容な作品であるし、プロローグのカタストロフィは一見の価値がある。そうした魅力もあるだけに、作品の方向性が不安定であることこそが、最もはがゆいのである。

    ● 関連作品 ※レビュー対象外
    252 生存者あり episode.ZERO [TV/2009年]
     → タイアップ作品、TVムービーとして放送

    ● 製作代表 : ツインズジャパン
    ● 日本配給 : Warner Bros.
    ● 世界公開 : 2008年12月06日 - 日本
    ● 日本公開 : 2008年12月06日

    (2009/07/11: 関連作品更新)
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    by movis | 2008-12-21 02:54 | 邦画
    セルピコ / Serpico
    ● セルピコ / Serpico [アメリカ / 1973年]

    b0055200_2304221.jpg1960年代後半、ニューヨーク市警に跋扈していた汚職に真っ向から立ち向かったフランク・セルピコの実話に基づいた社会派作品。作品の構図や構成が緻密に演出されているため、単調な作品であるながらも飽きはこない。アル・パチーノの迫真の演技にも注目。



    監督は、「狼たちの午後」のシドニー・メルット。「フランク・セルピコ」役には、"ゴッドファーザー"シリーズのアル・パチーノ。「シドニー・グリーン」役には、「キングコング」のジョン・ランドルフ。「トム・キーオ」役には、「スティング」のジャック・キーホー。「マクレイン」役には、「華麗なる賭け」のビフ・マクガイア。「ボブ・ブレア」役には、「サブウェイ・パニック」のトニー・ロバーツ。「レズリー・レーン」役には、「追憶」のコーネリア・シャープ。

    "Many of his fellow officers considered him the most dangerous man alive
     - An honest cop."
    1971年2月3日、ブルックリンのグリーンポイント病院。そこへ顔面に銃創を負ったニューヨーク市警「フランク・セルピコ」が担ぎ込まれた。地区総監「シドニー・グリーン」の命により、彼の病室には24時間の警戒態勢が敷かれた。1959年、「フランク・セルピコ」は人を圧倒するような正義感を燃えたぎらせて警察学校を卒業し、ニューヨーク市警の一員に加わる。しかし、彼は次第に自身が抱えていた警察官としての理想像と、現実との大きなギャップに困惑を隠せないようになる。それは当然のように横行している同僚たちの収賄や怠慢であって…。


      ニューヨーク市警に蔓延った汚職に対して真っ向から立ち向かったフランク・セルピコその人の実話に基づいた作品。「フランク・セルピコ」役を演じるは、前年の1972年に「ゴッドファーザー」にて名を広めたばかりのアル・パチーノ。彼は本作で演じるにあたり、フランク・セルピコと長期に渡って寝食を共にした、というエピソードも有名である。

      第三者的に事を眺めれば絶対正義であっても、社会や組織を相手に主義主張しようとしたために孤立無援に陥ってしまうというジレンマが手にとるように体感できる。硬派な社会派作品に描かれやすい相関であるが、本作はそうした一種の"社会的な生きにくさ"の表現を抑えながらも、「フランク・セルピコ」その人の在り方をドラマとして見せることに成功している。例えば、節々で描かれる「セルピコ」の恋模様などをとってみても、牽強付会な表現は見当たらず、ただただ彼の公私に渡る苦悩が理解できる、といった具合だ。

      いきなり顔面に銃創を負った「セルピコ」が病院に担ぎ込まれる、というショッキングなシーンを冒頭から見せ付けられるわけだが、物語の核心を予め予告しておく、という作品の構図も効果的である。そうと言うのも、作品は忠実に「セルピコ」の軌跡を追っていく反面、至極単調であるからだ。観始めてしまった以上は、なぜ「セルピコ」が重傷を負わなければならないのか、という疑問が解決するまでは観賞を続けるほかない。興味をインパクトのあるシーンに向けておきながら、ニューヨーク市警の目も当てられぬ汚れきった組織内部を見せ、そしていよいよ核心へと迫っていく。まんまと作品の意図に嵌っているような気がして悔しくもあるのだが、作品の構成はそれほど緻密に計算されている感がある。

      アル・パチーノの演技も作品の大きな見所だ。フランク・セルピコ本人の写真を見てもらえれば一目瞭然だが、60年代後半から世界中に流行した"ヒッピー・スタイル"で任務にあたる「セルピコ」の風貌はなかなかの再現性を誇っていて、冒頭で紹介したエピソードも説得力がある。若かりし頃のアル・パチーノは、ギロッとした目元が印象的であるが、本作においては、その"眼の演技"に心的葛藤や苦悩が見事なまでに表現されていたように思う。

      「セルピコ」が一貫して潔癖を貫く理由や私服警官としての勤務にこだわる理由などが分かりづらく、やはり作品は単調であるため、漫然と観賞してしまうと淡白な印象を受けてしまうかもしれない。ともあれ、60年代後半のニューヨーク市警の汚職を描いた作品の中では、その題材を主軸に描いた作品として貴重だ。総じて物語には絶望感が漂っているが、人生観に影響を与えてくれそうな一作と言えようか。

    ● 製作代表 : Artists Entertainment Complex
    ● 日本配給 : Paramount Pictures / Cinema International Corp.
    ● 世界公開 : 1973年12月05日 - アメリカ
    ● 日本公開 : 1974年07月13日
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    by movis | 2008-12-07 02:34 | 犯罪 / ギャング
    さよなら。いつかわかること / Grace is Gone
    ● さよなら。いつかわかること / Grace is Gone [アメリカ / 2007年]

    b0055200_2202056.jpgベテラン俳優ジョン・キューザックを喰わんとする、シェラン・オキーフとグレイシー・ベドナルジクの存在感。戦争は、こんな温かい家族にも悲劇をもたらした。幼い娘たちに母親の死をどう伝えたらよいのか。「スタンレー」の憂鬱とジレンマが心に痛い。



    監督は、ジェームズ・C・ストラウス。「スタンレー・フィリップス」役には、「マルコヴィッチの穴」「ハイ・フィデリティ」のジョン・キューザック。「ハイディ・フィリップス」役には、シェラン・オキーフ。「ドーン・フィリップス」役には、グレイシー・ベドナルジク。「ジョン・フィリップス」役には、"GOAL!"シリーズのアレッサンドロ・ニヴォラ。

    "笑うとき 目覚めるとき 眠るとき 海を眺めるとき 必ずママを思い出します"
    アメリカ、シカゴ。ホームセンターで働く「スタンレー」が帰宅すると、12歳の長女「ハイディ」は急いでテレビの電源を落とし、部屋を立ち去ってしまう。8歳の次女「ドーン」は、腕時計のアラームが鳴ると決まって目をつむる。そんな娘たちを怪訝に思う「スタンレー」であったが、彼女たちが、陸軍軍曹としてイラクに赴任した母親「グレイス」を恋しがっていることは明らかだった。ぎこちのない食卓を囲む日々を重ねた。そんな折、「スタンレー」の元に「グレイス」の訃報が届く。放心状態の「スタンレー」は、下校してきた娘たちを外に連れ出すと、「ドーン」が予ねてから憧れていたフロリダのテーマパーク"魔法の庭"に車を走らせることにして…。


      「リターン・トゥ・マイ・ラブ」の脚本で注目された、ジェームズ・C・ストラウスの監督デビューとなるインディペンデント作品。アメリカの現役兵士の約14パーセントは女性が占めているという。作中の「フィリップス」一家も例外ではない。妻であり、母親である「グレイス」に残された家族の複雑な心境、固く結んでいく絆、そして戦争の悲劇を、繊細に、しかし淡々と描いた。キューザックからの熱心なアプローチを受けて、本作の音楽はクリント・イーストウッドが担当している。

      ベテランであるキューザックの実力は言うに及ばずとも、シェラン・オキーフ、グレイシー・ベドナルジクの初々しい演技が印象的であった。両名は本作が映画デビューであるにも関わらず、多感で知的な「ハイディ」、底抜けに明るい「ドーン」の姉妹を堂々と演じきった。そうは言っても、彼女たちの進む道はまだ定まっていないようで、シェラン・オキーフはロックバンドを組みながら、フランス語とギリシャ語を独学で修得しようと励んでいるようだし、グレイシー・ベドナルジクは将来に夢に動物保護施設を開くか、獣医になりたいと言っているようである。天賦というべきか、逸群の才能というべきか、彼女たちの可能性には畏怖を覚えるばかりである。

      作品は、ロードムービーのような様相を呈して展開していく。道中で出会う人々、起こる出来事を通して「フィリップス」一家の心が変化していくのであるが、昼のシーンは賑やかに、夜のシーンはしっとりと、1日1日を重ねる中で2つの雰囲気が描き分けられている。(夜のシーンが物静かなのは、元気な「ドーン」が早々に寝てしまうからであるが)そういった意味では、飾り気がないので、日常的で、人間的で、感情移入が容易な作品である。子供との付き合い方が不器用で、なかなか母親の死を伝えられない「スタンレー」と、多感がゆえ日常にカタルシスを見出せない「ハイディ」のハラハラとする遣り取りを、"魔法の庭"をただ楽しみにして笑顔を振りまく「ドーン」が和ませていく。そんなどこにでもありそうな家庭を観てしまうから、「グレイス」の死がやりきれない。

      本作の中での戦争のイメージは、「ハイディ」が隠れ見ていたテレビの報道番組と、「スタンレー」のもとにやってきた軍人くらいである。しかし、夫と娘を残した「グレイス」の訃報だけで戦争の悲惨さに心が痛んでしまう。エピローグには、胸が詰まってしまった。もしもアメリカに「フィリップス」一家のような家族があるのだとしたら、彼らの幸せを心から祈らずにいられない。

    ● 製作会社 : Plum Pictures
    ● 配給会社 : ザナドゥー
    ● 世界公開 : 2007年1月21日 - アメリカ(第23回サンダンス映画祭)
    ● 日本公開 : 2008年4月26日
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    by movis | 2008-04-14 02:28 | ドラマ
    小説家を見つけたら / Finding Forrester
    ● 小説家を見つけたら / Finding Forrester [アメリカ / 2000年]

    b0055200_12344492.jpgかつては"天才的小説家"と呼ばれた老作家と、文才を持った少年との友情を描いたドラマ。グッと抑えたテンションに、静かで上品な語り口で描かれた物語は心に温かくも切ない。ショーン・コネリーと堂々と渡り合う、新鋭ロブ・ブラウンの演技力にも注目。



    監督は、「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」のガス・ヴァン・サント。製作と「ウィリアム・フォレスター」役には、「ザ・ロック」「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」のショーン・コネリー。「ジャマール・ウォレス」役には、「コーチ・カーター」「レッスン!」のロブ・ブラウン。「ロバート・クロフォード」役には、「アマデウス」「スカーフェイス」のF・マーレイ・エイブラハム。「クレア・スペンス」役には、"X-MEN"シリーズのアンナ・パキン。

    "In an ordinary place, he found the one person to make his life extraordinary."
    -"窓(ウィンドー)"だ。ニューヨーク、ブロンクスのとある一角。ストリート・バスケに興じる「ウォレス」の仲間は、向かいのアパート最上階の住人をこう呼んだ。時々、BMWに乗った白人男性が"窓"を訪ねてくるだけで、彼の姿を認めたものがいない。『殺人犯に決まってる』。不気味な住人への好奇心は日に日に高まるばかりであった。ある夜、「ウォレス」は仲間にそそのかされて、"窓"の部屋への侵入を試みた。積み上げられた小説。薄暗がりに光を放つペーパーナイフ。「ウォレス」は興味に事欠かなかった。しかし、"窓"は起きていた。驚いた「ウォレス」は、大切な"メモ帳"が入っているバックパックを置いて、飛ぶように逃げたのであったが…。


      アメリカ人で、絵画、写真、音楽と多岐に渡って芸術的才能を発揮するガス・ヴァン・サントによる、天才的小説家と文武両道を成す少年との友情を描いたドラマ。「ウィリアム・フォレスター」役での主演を務めるショーン・コネリーが、製作にも携わっている。

      味わい深い作品であることを認めておきたい。枝のように広がった人間関係に"友情"というテーマを与えつつ、出会いを通して自分を知る、人は一人では生きていけない、といった一種のカタルシスを物語にしたためたのはマイク・リッチの腕。"文学"という作品モチーフよろしく、グッと抑えられたテンションの中にも、確かな熱気が感じられた。おそらく、製作サイドは至極丁寧に物語を紡いだだろう。クランク・アップに湧き上がる彼らの歓喜や達成感が目に浮かぶようである。

      主人公たちが抱える孤独や苦悩を、じわじわと表面化させる演出も憎い。こういったメンタリティーの映像化は、製作と演技の良き相性が成せる技。ショーン・コネリーやF・マーレイ・エイブラハムの好演は言うに及ばずとも、彼らを喰わんとする存在感を示したのが、新鋭ロブ・ブラウンである。『携帯代の足しになれば』という理由でオーディションを受けた結果がこうなのだから驚愕せざるを得ないのであるが、ショーン・コネリーとの堂々たる渡り合いは見事であった。

      春のような温かさと、秋のような切なさを備えた、心洗われるドラマであったが、"文学"というモチーフ、"天才的小説家"という設定が映像の中で隠れてしまっていたことが気になる点である。どちらにせよ説得力に乏しいが、どちらも映像による説得は難しい。あくまでもこれらのアイデアは、"友情"というテーマを描くための素材である。この素材に関しては、ただ真に受けていれば観賞に支障はないだろう。しかし、せめて「ウィリアム」の過去を具体的に知ることが出来るシーンがあれば良かった。「ウィリアム」の書く"文章"については、少なからず興味の対象となるのだから。

    ● 製作代表 : Columbia Pictures Corporation
    ● 日本配給 : Sony Pictures Entertainment
    ● 世界公開 : 2000年12月19日 - アメリカ
    ● 日本公開 : 2001年03月10日
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    by movis | 2008-02-24 12:47 | ドラマ