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    ミリオンダラー・ベイビー / Million Dollar Baby
    ● ミリオンダラー・ベイビー / Million Dollar Baby [アメリカ / 2004年 / PG-12]

    ミリオンダラー・ベイビー / Million Dollar Baby_b0055200_0124693.jpg美しい語り口と哀歓の描き方。クリント・イーストウッドの持ち味が十二分に発揮された、濃厚なヒューマン・ドラマ。アカデミー賞4部門にて最優秀賞に選ばれたものの、賛否両論を生む理由がある。万人には勧めにくいものの、重要な議題を与えてくれる一作であった。



    監督と「フランキー・ダン」役には、「ルーキー」「ミスティック・リバー」のクリント・イーストウッド。「マギー・フィッツジェラルド」役には、「ボーイズ・ドント・クライ」のヒラリー・スワンク。「エディ・"スクラップ・アイアン"・デュプリス」役には、「ショーシャンクの空に」のモーガン・フリーマン。「デンジャー・バーチ」役には、「あの頃ペニー・レインと」のジェイ・バルチェル。「ショーレル・ベリー」役には、「セレブの種」のアンソニー・マッキー。「ビッグ・ウィリー」役には、マイク・コルター。

    "Beyond his silence, there is a past. Beyond her dreams, there is a feeling.
     Beyond hope, there is a memory. Beyond their journey, there is a love. "
    「フランキー・ダン」は、ロサンゼルスにある古びた小さなボクシング・ジムを経営している。かつては優秀なカットマン(止血係)であった彼の指導方針は、ビッグ・タイトル獲得を焦らず、慎重かつ保守的であるため、才能に溢れる若きボクサーは皆、彼の元を去ってしまう。実娘「ケイティ」とも連絡が付かず、「フランキー」は孤独な日々を送った。31歳の女性「マギー」がこのジムに押しかけてきたのは、「フランキー」が手塩にかけて育てた「ビッグ・ウィリー」が彼に別れを告げた頃だった。不遇の人生を歩んできた「マギー」は、自身のボクシングの才能に望みを託している。そんな彼女に「フランキー」は見向きもせず、女性ボクサーは取らない、という台詞を繰り返すばかりだ。「マギー」はそれでも折れず、毎日のようにジムへと脚を運ぶ。そんな彼女の姿を見守っていた「フランキー」の親友であり、ジムの雑用係である元ボクサー「エディ」は、「マギー」の将来性を感じ、「フランキー」を説得にかかるのであった…。


      2003年の「ミスティック・リバー」と同様、監督と音楽を兼務し、「フランキー・ダン」役にて主演にも挑んだクリント・イーストウッドの意欲作。2004年に開催された第77回アカデミー賞では7部門のノミネートを受けた。不遇にも、この授賞式では11部門のノミネートを受けたマーティン・スコセッシの「アビエイター」と角を突き合わせる格好となったが、作品賞、主演女優賞、助演男優賞、監督賞と主要4部門でオスカー像を勝ち取った。意外にも、助演男優賞ノミネートでは常連のモーガン・フリーマンは、この作品で初めて最優秀賞を獲得している。

      感情表現や人間関係に滅法不器用な「フランキー」は、人を思い遣る深い心があるにも関わらず、それが上手く相手に伝わらない。どれだけ大切にボクサーを育てても、皆、彼の真意を量りかね、我慢を強いられていると思い込み、去っていってしまう。それは実の娘の「ケイティ」も同じだ。「マギー」を巡る人生は不遇の極みであった。貧しい家庭に育ち、自分を唯一可愛がってくれた父親の死後は、強欲非道な母親や兄弟に囲まれて育った。彼女はそんな家族に対しても愛情を抱え、幼少からウェイトレスで生計を立て、自分の存在意義をボクシングに見出してきた。私は、哀歓を語らせれば、クリント・イーストウッドの右に並ぶ監督はそういないと思っているが、本作では「フランキー」と「マギー」の少し性格の異なる"孤独"が、互いの出会いを以って、光を差し込んでいく語り口が最高に美しいと思った。

      慎重で保守的な「フランキー」と、ハングリーで好戦的な「マギー」という対極の人間が"孤独"という唯一の共通点によって理解を深め、相手を尊重していく。互いの頑固な信念がぶつかりあっている内はヒヤヒヤとするが、それを上手く噛み合わせていくのが「エディ」だ。もちつもたれつ3人の人間が絡み合いながら、ある意味では「マギー」が強引に「フランキー」と「エディ」を牽引しながら、物語は輝かしい予感を振り撒き、また微笑ましく展開していく。もうこのまま光を観て作品がエピローグを向かえてもいい。そう思えるほど、寡黙でありながら、彼らの人格や彼らの抱える"孤独"がありありと映像に表れているのだ。

      しかしながら、伝統ある栄誉を与えられ、こうした非常に精巧なヒューマン・ドラマを讃えていながらも、本作には賛否両論が尽きない。その理由は、作品の核心に触るものであるために言及を避けるが、倫理学上では注意深く語られるべきであるテーマを、あまりに唐突かつ大胆に表現してしまっているからだ。それなりに予兆はあるものの、絶望が一気に噴出する。ある者が口にすること、ある者がとった行動、例えば自分が「フランキー」だったら、「エディ」だったら、「マギー」だったら、思わず深慮に耽ってしまうような憂鬱がある。私は、誰の考えも、誰の行動も、何が間違っていて何が正しいかを語ることができない。それは、自分の人生の中で、彼らのいづれの立場にも置かれたことがないためだろうか。きっと、あの"レモンパイ"の味は、当人にしか分からない。

      観る者の経験、生き方によって、本作が語るメッセージの解釈や心象は異なるかもしれず、敢えて万人に勧めることのできる作品ではないと言っておきたい。とはいえ、手抜きのない、丁寧で繊細なヒューマン・ドラマを体感でき、クリント・イーストウッドの持ち味が十二分に発揮されているといえよう。語り口も美しい。自身が本作に登場するいづれかの立場に置かれたとき、何を考え、どう行動するだろうか。心に重いが、重要な議題を与えてくれる作品だ。

    ● 製作代表 : Warner Bros. Pictures
    ● 日本配給 : MOVIE-EYE/松竹
    ● 世界公開 : 2004年12月15日 - アメリカ
    ● 日本公開 : 2005年05月28日
    by movis | 2009-01-27 00:21 | ドラマ